KemaAkeの全国城めぐり
足柄城
あしがらじょう
別名なし 足柄城跡の碑と富士山
形態山城
築城年天文5年(1536)ごろ
築城者北条氏綱
主な城主北条氏
所在地旧国名駿河・相模
所在地静岡県駿東郡小山町竹之下〜神奈川県南足柄市矢倉沢
アクセス 伊豆箱根鉄道大雄山線 大雄山駅
↓箱根登山バス 足柄万葉公園行き(約40分)
足柄万葉公園バス停
↓徒歩(約15分)
一の郭
アクセスのしやすさ☆☆
概要
-----------歴史------------
●後北条氏時代以前
足柄城の立地する足柄峠は古くから交通の要所とされ、古代には足柄の関が設けられていた。 正確な築城者、築城年は不明であるが、平安時代末期ごろから何度か軍事的な施設が設けられた形跡が残されている。
●後北条氏時代
本格的な築城は北条氏綱が天文5年(1536)ごろに行ったとされるが正確なところは不明である。 天文24年(1555年)に北条氏康が補修を行った記録が残る。 永禄11年(1568年)に武田信玄の駿河侵攻により甲相駿三国同盟が破棄されると、甲斐に近い足柄城の重要性は増し、大幅な改修が行われる。 武田氏滅亡後、豊臣氏との対決が必至となるとさらなる改修が行われ、小田原攻めを迎える。 小田原攻めでは城将の北条氏忠が山中城の落城を知り小田原城へ退却、その後井伊直政の攻撃により落城する。
---------構造・特徴--------
駿河と相模の国境、標高759メートルの足柄峠に位置する本格的な山城である。 足柄街道(古東海道)を抑えるための城で、東海道を抑える山中城と並んで小田原城の西を守る支城であった。 五段の曲輪で構成されており各曲輪の間には空堀が設けられていた。
遺構 普請:曲輪、空堀
作事:なし
天守:なし
登城日2014/11/15
感想など 公共交通機関のみでの足柄城へのアクセスはなかなか面倒です。 伊豆箱根鉄道大雄山線の大雄山駅(バス停名は関本)からバスに乗車して足柄万葉公園バス停で下車するのが一番ラクな方法です。 しかし足柄万葉公園行きのバスの運行は4月〜11月の土休日のみで、本数は1日2本と少ないです。 行きか帰りのどちらかは足柄峠の麓の地蔵堂バス停までの徒歩になるでしょう。私は行きはバス、帰りは地蔵堂まで徒歩でした。 地蔵堂は近くの矢倉岳登山の拠点となっており、バスの本数も比較的多いです。 ここで注意があります。足柄万葉公園から地蔵堂まではハイキングコースが整備されていますが、道が非常にわかりづらいです。 ところどころに案内板が建っているのですが、案内板をたよりに林の中を進む感じになります。方向を見失わないようにしてください。

足柄城は戦国時代の城郭で基本的には土作りの城です。ただ石垣が大規模に使われていたとも言われています。 長い時を経て埋没が進んでいるのか、なんとなくここが空堀、ここが曲輪の境目、といった城郭らしさは感じることが出来ます。 案内板も「一の郭」「ニの郭」といったおおまかなもので、詳細な説明はありません。 典型的な戦国期山城で、記録もほとんどないためこれは仕方がないのでしょう。 正直な所、足柄城で一番のみどころは目前に裾野を広げる富士山の眺めかもしれません。
登城記
1. 足柄万葉公園バス停周辺
足柄万葉公園バス停 撮影場所1
足柄万葉公園バス停
バス停付近から見た富士山
バス停付近から見た富士山
バス停付近から見た足柄平野
バス停付近から見た足柄平野
神奈川、静岡県境
神奈川、静岡県境

足柄万葉公園バス停の標高は約740メートル。バス停付近からは足柄平野を見下ろすことが出来ます。ここから足柄城までは歩いて15分ほどで、途中神奈川と静岡の県境を超えます。
2. 足柄関所跡
足柄関所跡 撮影場所2
足柄関所跡
足柄峠を超えるいわゆる矢倉沢往還は宝亀2(771)年以前には東海道と定められていました。 東海道は時代ごとのニーズに合わせてルートが変わっており、現代の私達が思い浮かべる箱根超えのルートは江戸幕府が定めた新しいルートとなります。 足柄関所はこの辺りに出没する強盗団を取り締まる目的で設けられ、通過には相模国司の発行する通行手形が必要でした。 ただ、関所があったことは間違いないようですが、厳密な位置ははっきりしていません。 正式な関所としてはごく短期間のみ存在していたようですが、交通の要衝ということでその後も世の中が乱れた時は、度々、臨時の関所が設けられていました。 以前は黒澤明監督の「乱」の撮影で使用された冠木門があったようですが見当たりませんでした。
3. 足柄城跡
足柄城跡の碑と富士山 撮影場所3
足柄城跡の碑と富士山
一の郭
一の郭
礎石?
礎石?
玉手ヶ池
玉手ヶ池
空堀
空堀
ニの郭
ニの郭
三の郭
三の郭
足柄街道から見た足柄城跡
足柄街道から見た足柄城跡
現在の足柄城跡は足柄街道を挟んで大きく二つに分かれており、北側に一の郭、ニの郭、三の郭など、南側には明神郭があります。 かつての古東海道もこのあたりは現在の足柄街道とほぼ同じルートであったようで、足柄城が山中城と同様に街道を取り込んで築城されたことが伺えます。 空堀や土塁も長い間にかなり埋没しているようで、空堀らしさが伺えるといった程度です。案内板も詳細説明がないため、いきなり現地に行った私は全体像がつかめませんでした。 ニの郭からは裾野まで含めて富士山を目の前に望むことが出来ます。
4. 二の郭から見た富士山
二の郭から見た富士山
二の郭から見た富士山
5. 聖天堂
聖天堂 撮影場所4
聖天堂
金太郎像
金太郎像
足柄関所跡のすぐ近くには足柄聖天堂があり、大聖歓喜双身天王が秘仏として祀られています。 元々は京都にあったとされるこのご本尊、次のようないわれがあります。
宮中の女官と武士が恋に落ち、この大聖歓喜双身天王に願掛けしたところ一緒になれた。 しかし、役人は「こんなものは風紀上よくない」として、空船に乗せて海に流した。 船は相模の国、早川に流れ着き地元の人々が祀っていた。それを弘法大師が見出し足柄峠に勧進した。
このようないわれから開運、縁結にご利益があるとされています。
6. 足柄明神
足柄明神の鳥居 撮影場所5
足柄明神の鳥居
足柄明神
足柄明神
神奈川県と静岡県の県境には足柄明神があり、この辺りは足柄城の明神郭になります。 足柄明神は日本最古の歴史書である「古事記」に記述があります。 ヤマトタケルノミコトが東国征伐へ向かった時、足柄明神は足柄峠で白鹿の姿でヤマトタケルノミコトを襲いましたが、返り討ちにあいました。 坂東人(関東人)の誇りを体現した存在とされ、矢倉神社で祀られていましたが、明治6(1873)年に祭神から外され(国家神道の影響?)ました。 そのため地元の人々が祠を建て新たにここに足柄明神を祀りました。 祠の前は東側に視界が開け、遠く横浜のランドーマークタワーやベイブリッジを見ることが出来ました。


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