KemaAkeの全国城めぐり

丸亀城 まるがめじょう
別名 亀山城、蓬莱城
形態 平山城
築城年 慶長2年(1597年)
築城者 生駒親正
主な城主 生駒氏、山崎氏、京極氏
所在地旧国名 讃岐
所在地 香川県丸亀市一番丁
アクセス ●徒歩によるアクセス
JR予讃線 丸亀駅から徒歩15分
アクセスレベル ●徒歩でのアクセスレベル
☆☆☆☆☆
概要 丸亀城のある亀山には室町時代初期、管領細川頼之の重臣である奈良元安が亀山に築いた砦があったと伝えられる。慶長2年(1597年)に豊臣秀吉より讃岐17万石を与えられた生駒親正が築城を開始する。慶長7年(1602年)生駒親正は高松城に移り、支城となる。元和元年(1615年)一国一城令により廃城となる。その後、寛永18年(1641年)に山崎家治が5万石で西讃岐の領主となり、寛永20年(1643年)に再び城を築く。現在残る石垣の多くはこのとき築かれたものである。明暦2年(1656年)に山崎氏は絶家となり、翌年京極高和が6万石で丸亀藩主となり、以後明治維新まで京極氏が城を支配する。
登城日 2009/05/08
撮影カメラ RICOH R10
みどころ 石の城と呼ばれるだけあり、山麓から4重に重ねられた総高60メートルの石垣群に圧倒されます。また現存12天守のうち最小の天守閣があります。

登城記
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天守閣と大手門

今治城をあとにし午後2時くらいに丸亀駅に到着。まずは遅めの昼食を食べることに。讃岐国ということでお決まりの讃岐うどんを食べました。もっちり感がすごい!確かにうまい。うどんブームもうなずけます。腹ごしらえ完了。城に向かいます。といっても少し歩いただけで、立派な石垣と小さな天守閣が見えてきます。あっというまに大手門に到着です。
天守閣とこいのぼり

掘の上でこいのぼりが気持ちよさそうに泳いでいたので天守閣と一緒に撮影しました。
内側から見た大手二の門

大手二の門を内側から撮影しました。大手門は渡り櫓形式の大手一の門とこの高麗門形式の二の門から成っています。元々城の南にあった大手門を京極氏が寛文10年(1670年)に城の北であるこの地へ移築したものです。
大手二の門の扉

大手二の門の扉です。二枚目は大手二の門の柱の一部が石で造られており、珍しいので撮影。
大手二の門の柱

大手二の門の柱の一部が石で造られており、珍しいので撮影。
大手一の門

大手一の門です。かつてはこの門の上で時報の太鼓を打っていたので太鼓門とも呼ばれています。
大手枡形の石垣

二枚目の写真は大手枡形の石垣です。隙間ができないよう加工した大きな石を使用した切り込み剥という方法で積まれています。この方法は石垣積みの技術で最も発達したもので、江戸城天守台の石垣などもこの方法です。私はこの方法はきれい過ぎてあまり好きではないです。
大手一の門の鯱

大手一の門の鯱。尾びれが欠けて痛々しいです。大手一の門をはじめとした内堀内側の山麓部は山下曲輪になります。
見返り坂から三ノ丸石垣を見上げる1

見返り坂から三ノ丸石垣を見上げる。見返り坂と呼ばれる長い坂の上ると三ノ丸になります。写真の石垣は打ち込み剥で積まれており、かなりの高さがあります。20メートルくらいあるかもしれません。丸亀城では大手門でご紹介した切り込み剥、ここでご紹介した打ち込み剥ぎ、その他に野面積みの石垣が使用されており、様々な石垣を見ることができます。
見返り坂から三ノ丸石垣を見上げる2

同じく見返り坂から三ノ丸石垣を見上げる。
三ノ丸から二ノ丸石垣を見上げる

三ノ丸から二ノ丸石垣を見上げる。
刻印1

石垣の刻印です。本丸の石垣を良く観察してみると二つほど刻印を見つけることができました。一枚目は写真中央に丸に縦棒の刻印があり、上のほうにはノミの加工跡がある石も写っています。
刻印2

こちらは写真中央に丸にαを寝かせたような刻印があります。石垣の刻印は大名の家紋であったり、石の産地を示していたり、奉行の姓名を記したものなどがあります。この刻印はなんでしょうか?パンフレットにも説明が無いのでわかりません。もしかしたら刻印じゃないかも…
天守閣

天守閣です。3重3階の層塔型で、万治3年(1660年)に京極氏によって建てられたもので四国に現存する天守閣(他には高知城、宇和島城、松山城)の中では最も古いものです。現存12天守の中では最も小さく、高さは15メートルです。しかし60メートルにも及ぶ石垣群の上に建っているので遠くからでも見ることができ、風格があります。
西から見た天守閣

西から天守閣を見る。このアングルから見るとひょろっとした感じです。入り口と比較すると天守閣が小さいことがお分かりいただけると思います。
天守閣二階内部

天守閣二階内部です。
天守閣三階の屋根の木組み

天守閣三階の屋根の木組みです。天井がないため外から見た屋根の形をそのまま内側から見ることができます。
本丸から瀬戸大橋の望む

本丸から瀬戸大橋を望む。本丸からは瀬戸内海をはじめ、讃岐富士と呼ばれる飯野山などが一望できます。
三ノ丸から天守閣北面を見上げる

三ノ丸から天守閣北面を見上げる。一段目の石垣が二ノ丸のもの、天守閣が建つ石垣が本丸のものになります。
三ノ丸から天守閣北西面を見上げる

三ノ丸から天守閣北西面を見上げました。石垣は天守閣以上の高さがあり、少なくとも15メートル以上の高さであることがわかります。
搦手口から三ノ丸石垣を見上げる

搦手口から三ノ丸石垣を見上げる。
搦手口の石垣

搦手口の石垣です。この後、搦手から掘の外側に出て城をほぼ一周しました。30分もあれば一周できるでしょう。その際、地元の小学生(?)とすれ違ったのですが、カメラを持った私に元気良く「こんにちは」と挨拶をしてくれました。このご時勢に珍しいとびっくりすると同時に、なんだかほのぼのした気分になりました。怪しい人と思われただけかもしれませんけど…深く考えたら負けですね。ほのぼのした気持ちを大切にしましょう。
天守閣と藩主玄関先御門

天守閣と藩主玄関先御門です。この門は三ノ丸にあった京極氏の屋敷の表門です。薬医門形式で、この門に接して番所・御駕籠部屋・長屋があります。屋敷の跡地には丸亀市立資料館が建っています。
藩主玄関先御門の瓦

藩主玄関先御門屋根のアップです。瓦に使用されている家紋は京極氏のもので、四つ目結という家紋です。
大手門側から見た丸亀城全景

最後に大手門側(北)から見た丸亀城全景です。層になった高石垣は本当にすばらしいです。石の城とはよく言ったものです。なお、写真を撮るなら石垣を隠す木々の緑がなくなる冬がよいかもしれません。いずれ冬に来ることを決心して、四国を後にしました。

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