KemaAkeの全国城めぐり
岡豊城
おこうじょう
別名なし 北西から見た岡豊山
形態平山城
築城年13世紀〜14世紀ころ
築城者長宗我部氏
主な城主長宗我部氏
所在地旧国名土佐
所在地高知県南国市岡豊町八幡1099
アクセス JR高知駅
↓徒歩(約1分)
高知駅バスターミナル
↓とさでんバス : 南国オフィスパーク、領石方面行き(約30分)
学校分岐バス停
↓徒歩(約10分)
高知県立歴史民俗資料館(岡豊城に隣接)
アクセスのしやすさ☆☆☆☆
概要
-----------歴史------------
鎌倉時代初期に信濃から土佐に移住した長宗我部能俊が岡豊城を築城したとされる。
室町時代、応仁の乱の後、土佐では長宗我部氏、本山氏、山田氏、吉良氏、安芸氏、大平氏、津野氏の「土佐七雄」と呼ばれる有力国人が台頭する。 永正5年(1508)に本山氏、山田氏、吉良氏などの連合軍により岡豊城は落城するが、 永正15年(1518)には中村の一条氏が取り成し、長宗我部国親が旧領を回復し岡豊城に戻る。 国親の子である元親は天正2年(1574)、主家であった一条兼定を豊後に追放し土佐を平定し、岡豊城を拠点に天正13年(1585年)には四国をほぼ統一した。 天正19年(1591)に浦戸城を築城し居城を移したため、岡豊城は廃城となった。
---------構造・特徴--------
中規模の典型的な中世平山城。
遺構 普請:空堀、土塁、石垣
作事:なし
天守:なし
登城日2014/5/2
感想など 岡豊城へのアクセスは岡豊城跡に建てられた高知県立歴史民俗資料館を目指します。 JR高知駅北口の高知駅バスターミナルからバスに乗車、約30分ほどの学校分岐バス停で下車します。 バスは少ない時間帯でも一時間に二本程度出ているため、そこまで不便ではありません。 バス停の目の前が岡豊山になり、ここから少し坂道を登ると高知県立歴史民俗資料館の近代的な建物が見えてきます。 この建物の裏手一体が岡豊城跡になります。
岡豊山は標高約97メートル、麓からの比高は70メートルほどで、岡豊城は規模はあまり大きくはなく典型的な中世の城といったところでしょうか。 四国の覇者、長宗我部氏の本拠地ということでもっと大規模な城を想像しがちですが、意外とこじんまりとした城でした。 中世城郭であり江戸時代以前に廃城となっていることから建物は残っていませんが、案内板等よく整備されており礎石も多く見ることが出来ます。
登城記
1. 高知県立歴史民俗資料館
高知県立歴史民俗資料館入口 撮影場所1
高知県立歴史民俗資料館入口
高知県立歴史民俗資料館 撮影場所2
高知県立歴史民俗資料館
学校分岐バス停の少し先、右側に高知県立歴史民俗資料館への入口があります。 坂道は車道として整備されておりゆっくり歩いても10分ほどで岡豊山の中腹にある高知県立歴史民俗資料館に到着します。 二枚目写真右側の木々に覆われている部分が岡豊城跡として整備されている部分になります。
高知県立歴史民俗資料館の二階には長宗我部展示室なるものがあり、長宗我部氏の興亡、岡豊城址の出土品など長宗我部ファンと城ファンにうれしい展示が盛りだくさんです。
2. 伝厩跡曲輪
伝厩跡曲輪 撮影場所3
伝厩跡曲輪
高知市街方面を望む
高知市街方面を望む
伝厩跡曲輪は詰(本丸)を中心とする本城の西、別の峰に設けられた出城です。 長さ30メートル、幅17メートルの楕円形で周囲は急な斜面に囲まれ、北西の二重の堀と南斜面の竪堀郡により守りを固めています。
現在は滑り台兼用の展望台が設けられており、南西に位置する高知市街を一望することができます。 詰は木々が周囲に生い茂っているため、現在城内で最も見晴らしの良い場所はこの伝厩跡曲輪のようです。
3. 城内各所の遺構など
竪堀
竪堀
空堀
空堀
虎口 撮影場所4
虎口
岡豊城跡の碑
岡豊城跡の碑
4. 三ノ段
三ノ段
三ノ段
石垣その一
石垣その一
石垣その二
石垣その二
三ノ段より詰を見る
三ノ段より詰を見る
三ノ段は詰(本丸)より一段低く、詰の南と西を囲む曲輪です。 発掘調査で礎石建物と詰への階段跡、曲輪を囲む土塁の内側に石垣が確認されています。
礎石建物は三ノ段の幅いっぱいに建てられ、大きさは南北約17メートル、北半部約9メートル、南半部約6メートルとなっており、 総面積は125平方メートルとかなりの規模となっています。建物跡からは鉄鍋や石臼などの生活用品が出土しています。
岡豊城では石垣はほとんど使われていないと考えられていましたが、20センチメートルから40センチメートルほどの割石を高さ1メートル、野面積みで積んでいます。 この三ノ段が岡豊城の大きな見どころのひとつです。
5. 詰
詰 撮影場所5
詰は岡豊城の中心となる曲輪で、標高97メートルの岡豊山頂上に位置しています。 1辺40メートルのほぼ三角形状で、東にはニノ段、南から西にかけては三ノ段、四ノ段が詰を囲んでいます。 発掘調査では、建物の基礎と思われる石敷遺構と礎石建物跡が確認されており、岡豊城の中心となる建物と考えられています。
他には地鎮の遺構や溜井(雨水を溜めた井戸)とみられる穴、掘立柱建物の柱穴などが確認されています。 かつては曲輪の周囲を土塁が囲んでいたものと考えられています。 「天正三年」(1575)の年号のある瓦や輸入陶磁器、渡来銭などが出土しています。
6. ニノ段
ニノ段 撮影場所6
ニノ段
東方面を望む
東方面を望む
ニノ段は、堀切によって詰から隔てられた長さ45メートル、最大幅20メートルのほぼ三角形の曲輪です。 城外に接する南側には高さ60センチメートルの土塁が30メートルにわたり残っていました。 かつて土塁は幅約3メートル、高さ1メートルの規模があったことが発掘調査により確認できました。
ニノ段からは東の眺望がひらけており、土佐最古の寺院跡のひとつとされる比江廃寺跡、土佐国分寺跡、土佐国府跡などを望むことができます。 史跡、文化財が数多く残された土佐の歴史において重要な一帯です。
7. 岡豊山遠景
北西から見た岡豊城 撮影場所7
北西から見た岡豊山
南西から見た岡豊城 撮影場所8
南西から見た岡豊山
岡豊城跡から歩いて20分ほどのところに高知大学医学部附属病院があり、そこからはバスが比較的多く発着しています。 帰りはここから高知駅を目指すことにしました。
途中の土佐街道からは北西方面に岡豊山を望むことが出来ます。写真中央の峰が詰、右側の峰が伝厩跡曲輪になります。
高知大学医学部附属病院の隣には国分川が流れており、国分川に掛かる橋からは南西に岡豊山を望むことが出来ます。 この国分川が岡豊城の南の守りの一端を担っていたと思われます。


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