KemaAkeの全国城めぐり

盛岡城 もりおかじょう
別名 不来方城
形態 平山城
築城年 慶長2年(1597年)
築城者 南部信直
主な城主 南部氏
所在地旧国名 陸奥
所在地 岩手県盛岡市丸内
アクセス ●徒歩によるアクセス
JR東北本線・同新幹線 盛岡駅から徒歩20分
アクセスレベル ●徒歩でのアクセスレベル
☆☆☆☆
概要 盛岡城は東北の有力戦国大名、南部信直が豊臣秀吉による天下統一後に所領安堵された事を受け、慶長2年(1597年)に本拠として新たに築城を開始した近世城郭である。寛永年間まで約40年かけて整備が進められ、信直の子、利直の代に完成した。東北地方の城では珍しく石垣を多用しており、花崗岩の高石垣は見事である。本丸には天守台が築かれたが、幕府への遠慮から御三階櫓が建てられた。古写真によると御三階櫓は最上階に火頭窓を設けるなど意匠をこらしたものであった。御三階櫓を初めとした御殿などの建物は明治初期にほとんどが解体され、城内に残る建物は彦御蔵のみとなっている。
城内案内図など 城内案内図(500x800)
登城日 2009/08/10
撮影カメラ RICOH CX1
みどころ 花崗岩で築かれた石垣は「白亜の石垣」といった趣で美しいです。

登城記
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吹上門跡に続く坂道

吹上門跡に続く坂道です。盛岡駅から歩いてくるとここが一番近い入り口になります。前の道路の向かいはかつては北上古川で、堀として利用されていました。
本丸南西二階櫓跡の石垣

盛岡城は大きく分けて平地部と二段の石垣で構成されており、一段目には三の丸や淡路丸、二段目には本丸や二の丸がありました。写真は本丸南西の二階櫓跡の石垣です。
本丸南東御三階櫓跡の石垣

本丸南東の三階櫓の石垣です。この上に建っていた御三階櫓が盛岡城の実質的な天守でした。
本丸北面の空堀1

二の丸と本丸を隔てていた本丸北面の空堀です。左側が本丸、右側が二の丸になります。写真の赤い橋の部分にかつては屋根が付いた廊下橋が架かっていました。
本丸北面の空堀2

空堀を橋の上から撮影しました。
三の丸不明門前の巨石

三の丸不明門前には写真の巨石があります。盛岡城が築かれたのは花崗岩が露呈する丘の上で、その名残です。石垣用の石材も現地調達できたものと思われます。
一段目南側の石垣

一段目の南側の石垣です。この上は吹上門の内側になり、桜山馬場になります。桜山馬場には百足橋という階段状の橋があり、本丸に直接続いていたと言われています。石垣が本当に白いです。
冠木門から天守閣を見上げる

桜山馬場の下には彦御蔵があります。彦御蔵は江戸後期に建てられたと考えられており、盛岡城内で唯一現存する建物です。内部は中央部分に仕切りがあり、それぞれに入り口が設けられていることから、用途の異なる道具類を収めていたものと考えられています。
御台所跡から見た三の丸の石垣

城内東側にあった御台所跡から見た三の丸の石垣です。御台所は平地部にあり、現在は多目的広場になっています。
烏帽子岩

三の丸には烏帽子岩と呼ばれる巨石があり、城の北側にある桜山神社の御神体になっています。築城時にこの場所を掘り下げたところ、二丈(約6メートル)の突出した大石が出現し、この場所が城内の祖神のご神域にあったため、以後吉兆のシンボルとして広く信仰され、南部盛岡藩の「お守り岩」として今日まで崇拝されています。

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