KemaAkeの全国城めぐり
五稜郭
ごりょうかく
別名亀田御役所土塁、柳野城 五稜郭を見下ろす
形態平城
築城年安政4年(1857)
築城者江戸幕府
主な城主江戸幕府
所在地旧国名蝦夷
所在地北海道函館市五稜郭町・本通1
アクセス JR函館本線 函館駅
↓徒歩(約5分)
函館市電 函館駅前(約5分)
↓函館市電5系統(湯の川行)(約15分)
函館市電 五稜郭公園前
↓徒歩(約10分)
一の橋
アクセスのしやすさ☆☆☆☆☆
概要
-----------歴史------------
●江戸幕府による築城
安政元年(1854)、日米和親条約により函館が開港され、函館奉行所が函館山の麓に置かれた。しかし港湾に近く防衛上不利なため内陸の亀田に奉行所を移すことになった。 安政4年(1857)から新奉行所の築造が始まり、7年後の元治元年(1864)に役所建物などがほぼ完成、奉行所の移転が行われた。 五つの稜堡を持つこの新奉行所は五稜郭と呼ばれるようになった。
●箱館戦争
慶応3年(1867)の大政奉還後、函館奉行所は明治新政府に引き渡された。 しかし戊辰戦争の勃発により、明治元年(1869)10月、榎本武揚率いる旧幕府脱走軍により占拠され、明治2年5月の旧幕府脱走軍降伏までの間、その本拠地となる。
●明治以降
箱館戦争の終結後、開拓使により奉行所庁舎を含むほとんどの建物が解体され、大正時代以降は公園として一般に公開された。 平成22年(2006)には古写真や古図面を参考に奉行所庁舎のおよそ三分の一が木造復元された。

---------構造・特徴--------
奉行所を守る堀や土塁の設計は伊予大洲藩出身の蘭学者、武田斐三郎が行った。ヨーロッパの城塞都市を参考とした星形五角形の縄張りを持つ日本初の稜堡式城郭となった。
遺構 普請:曲輪、石垣、堀、土塁
作事:土蔵
天守:なし
登城日2015/09/30
感想など 五稜郭への公共交通機関でのアクセスは、JR函館駅から路面電車あるいはバスで五稜郭公園まで行くことになります。 路面電車のある街は路面電車が便利で確実な交通期間です。函館も例に漏れず電車の本数も多く適当に行けば良い感じに電車に乗れます。 ちなみにJR函館駅の手前に五稜郭駅という駅がありますが、そこから五稜郭まで結構な距離があります。

五稜郭は日本に数多くある城の中でも珍しいヨーロッパ式縄張りの「稜堡式城郭」です。 地上から星形であることを確認するのは難しいですが、五稜郭タワーに登れば北の大地に刻まれた巨大な星を見下ろすことができます。 日本国内の稜堡式城郭は五稜郭の他に、五稜郭近くの四稜郭、長野県佐久市の龍岡城のみとされています。
縄張りは完全にヨーロッパ風で、砲撃からの防御と砲撃による攻撃を念頭に置いています。 しかし、堀や出入り口付近は石垣で固められており、従来の日本式築城術も用いられています。 見上げるような高石垣、累々と続く土塀、通路の屈曲はありませんが、実際に奉行所庁舎まで歩いてみると、四方から攻撃を受ける場所がいくつもあります。 単郭のみの比較的小規模な城ですが、シンプルかつ質素、それでいて機能的なまさに戦いのための城といった印象を受けました。
登城記
1. 入口広場と一の橋
入口広場
入口広場
撮影場所1 一の橋
一の橋
函館市電の五稜郭公園前から最も近い五稜郭の入口はここになります。
入口広場周辺には石碑や案内板があります。 一の橋は城外と半月堡をつなぐ橋で、昭和56年(1981)に当時の姿に木造復元されました。擬宝珠などの装飾は一切なく実用一辺倒の橋となっています。
2. 半月堡
半月堡の石垣その一
半月堡の石垣その一
半月堡の石垣その二
半月堡の石垣その二
半月堡の突端
半月堡の突端
撮影場所2 半月堡から大手口を見る
半月堡から大手口を見る
一の橋の先にある半月堡は三角形の曲輪で、稜堡式城郭の特徴のひとつです。 稜堡式城郭では城の凹部(稜堡の間)に半月堡を配置することで、出入口の防御を高めると同時に稜堡を攻撃する敵への横矢を実現しています。 役割は日本の城の馬出とほぼ同様ですが、ここにも塁を設けることで、門へ向かう敵の背後に上から攻撃をすることができます。
五稜郭では当初、五ヶ所の半月堡を設ける予定でしたが、工事規模の縮小などから実際にはこの大手口の一ヶ所のみ造られました。 土塁はあまり高くはありませんが、石垣で固められ、さらに日本の城でも珍しい刎ね出しを設けることで防御力を高めています。
3. 大手口周辺
撮影場所3 大手口
大手口
大手口石垣その一
大手口石垣その一
大手口石垣その二
大手口石垣その二
撮影場所4 見隠塁
見隠塁
半月堡から二の橋を渡ると正面が大手口です。 大手口は星形の凹部に位置しており、二の橋を渡る際にも左右の稜堡から横矢掛りを受けることになります。 従来の日本城郭のような枡形や折れはなく、通路はまっすぐ続いていますが、正面の見隠塁が行く手を遮ります。 見隠塁は外側から中を見透かせないようにするのと同時に通路正面上部から敵を攻撃するための拠点となります。 寄せ手は左右の土塁、正面の見隠類、背後の半月堡の四方から一斉に攻撃を受け、この数十メートルの間で甚大な被害を被ることになるでしょう。 周辺は谷積みの石垣で固められ、半月堡と同様に刎ね出しが設けられています。 ちなみに谷積は江戸時代後期の新しい石垣に見られ、江戸時代初期の打込ハギや切込ハギに比べ技術的に退化したものとされています。 やはり石垣技術は江戸時代初期の築城ラッシュ期が最高峰のようです。
4. 堀と土塁
土塁から見た半月堡
土塁から見た半月堡
堀
撮影場所5 大砲を運んだ坂
大砲を運んだ坂
撮影場所6 稜堡内側
稜堡内側
五稜郭を囲む水堀は最大幅が約30メートル、深さは最大5メートルほどの規模です。
堀の内側、五稜郭を形作る土塁は「本塁」と呼ばれ、最大幅約30メートル、最大高7メートルほどで、従来の日本城郭に用いられた土塁より幅に対して高さが低いです。 出入り口付近は本塁の外側に幅約10メートル,高さ約2メートルの「低塁」を設け二重構造としています。 稜堡式城郭では砲撃目標になる高い構造物を設けず、土塁や建物も低いものになっています。
また、五稜郭の本塁は実はすべて石垣造りで、わざわざその上から土をかぶせて土塁としています。 砲撃の衝撃を土で吸収することができ、石垣よりは砲撃戦向けの土塁ですが、五稜郭でわざわざ石垣を作った上に土をかぶせるといった手間のかかることをしたのかは不明です。 5つある稜堡の土塁には内側に緩やかな坂が設けられており、防御用の大砲を運んだ坂と考えられており、轍の跡も確認されています。
5. 奉行所庁舎
撮影場所7 正面
正面
太鼓櫓
太鼓櫓
鬼瓦
鬼瓦
玄関
玄関
側面
側面
廊下
廊下
大広間
大広間
表座敷
表座敷
奉行所庁舎は元治元年(1864)から明治4年(1871)までの10年に満たない間でしたが、江戸幕府の蝦夷統治、開港地函館における外交拠点となっていた建物です。
平成22年(2006)に一部木造復元されました。 復元されたのは玄関、大広間を中心んとした1000平方メートルほどで、往時の三分の一にあたります。それでもかなりの広さがあり、往時を偲ぶには十分です。
玄関上部には物見櫓を兼ねた太鼓櫓が設けられています。このような太鼓櫓はこの頃に築かれた御殿や役所に多く見られ、前橋城などにも同様のものがありました。 ただ、基本的に高い建物を設けない稜堡式城郭にあってこの太鼓櫓は目立つ存在であったらしく、箱館戦争の際には新政府軍の砲撃が命中し、数人の死者が出ました。
大広間は4つの部屋からなる書院造りで、襖を開け放つと72畳の広さになります。各国外交官との接見や公の行事が行われていました。 大広間の奥には奉行の執務室である表座敷があります。その他、役人が政務を執り行う部屋などが復元されました。
面白かったのは「用場小用所清所(ようばしょうようどころきよめどころ)」という部屋で、要するにトイレなのですが、若干大きさの異なる二ヶ所がありました。 身分によってトイレも使い分けていたのでしょうか。
6. 土蔵と大砲
撮影場所8 土蔵
土蔵
大砲
大砲
土蔵は五稜郭築城時から現存している唯一の建物です。箱館戦争後、いつのころからか「兵糧庫」と呼ばれるようになりました。 五稜郭が公園として整備された大正時代には「懐旧館(かいきゅうかん)」という箱館戦争の展示資料館となっていました。 平成の修理工事の際に、文献資料や発掘調査成果にもとづき庇野が復元されました。
土蔵の手前にはふたつの大砲が展示されています。左はブラッケリー砲(イギリス製)で射程約1キロメートル、旧幕府脱走軍のものです。 右はクルップ砲(ドイツ製)で射程役3キロメートル、新政府軍軍艦の艦載砲とされています。
6. 東側出入口付近
撮影場所9 正面
正面
本塁から見下ろす
本塁から見下ろす
見隠塁
見隠塁
撮影場所10 大砲を運んだ坂
大砲を運んだ坂
東側出入口には現在、橋がかかっていません。箱館戦争のときにはすでに現在と同じように大手門と搦手門のみ橋がかけられていたとされています。 構造は大手口と同様ですが、設置物がなにもないため五稜郭出入口の構造がよく分かります。
7. 五稜郭タワー
土方歳三の銅像
土方歳三の銅像
撮影場所11 五稜郭を見下ろす
五稜郭を見下ろす
五稜郭復元模型
五稜郭復元模型
函館山方面を望む
函館山方面を望む
五稜郭タワーは五稜郭築城100周年を記念して昭和39年(1964)に高さ64メートルの初代タワーが建造されました。 平成18年(2006)に高さ107メートルの二代目タワーが旧タワーの隣に建設され、旧タワーは解体されました。 土方歳三の銅像や五稜郭の歴史を再現したジオラマ「五稜郭歴史回廊」などがあり、眼下に広がる五稜郭を眺めながら往時を偲ぶことができます。 「五稜郭歴史回廊」は立体紙芝居といった趣でかなり詳しい内容で、歴史好きも満足できると思います。


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