七尾城 ななおじょう |
別名 | なし |
形態 | 山城 |
築城年 | 正長年間(1428〜1429)ごろ |
築城者 | 能登畠山氏 |
主な城主 | 能登畠山氏 |
所在地旧国名 | 能登 |
所在地 | 石川県七尾市古屋敷町夕部8-1 |
アクセス |
JR七尾線、七尾駅 ↓徒歩(約40分) 七尾城史資料館 ↓徒歩(約10分) 大手門跡 七尾駅から七尾城史資料館までの道順は城の地図をご確認ください。 |
アクセスのしやすさ |
☆☆ |
概要 |
●室町時代 七尾城は能登国守護畠山畠山満慶(みつのり)によって正長年間(1428〜1429)ごろに築城されたとされる。 五代慶致(よしむね)のころには麓にあった守護所が七尾城に移された。当初は小さな砦であったが順次拡充が行われ八代義続、九代義綱の時代には能登で戦乱が続いていたため、最大の縄張りとなった。 ●安土桃山時代 天正4年(1576)に越後の上杉謙信が能登へ侵攻し七尾城を包囲する。 一年間持ちこたえたが、翌天正5年(1577)重臣の遊佐続光が上杉方に内応、これがきっかけとなり開城した。 畠山氏に変わって上杉家臣の鰺坂長実が城代となるが、天正9年(1581)には織田氏が能登を領有、前田利家が城主となる。 しかし利家は政治を行うのに不便な山城を嫌い、麓の小丸山城に移った。そのため七尾城は利家の子、利政が城主となったが天正17年(1589)に廃城となった。 |
遺構 |
普請:石垣、掘、土塁 作事:なし 天守:なし |
城内案内図など |
縄張図(1800x1000) 現地案内板より 案内図(1000x701) 七尾城史資料館で入手 |
登城日 | 2011/11/13 |
各写真をクリックすると大きな写真が表示されます。この画面に戻る場合はブラウザの戻るボタンを使用してください。各写真の下の番号は城の地図と対応しています。赤い番号は写真の撮影対象の場所を示し、青い番号は写真の撮影場所を示します。 |
1. 七尾城史資料館 |
2. 登山道に至る車道 |
![]() 城の地図: ![]() |
七尾城史資料館で入手した案内図に従い往時の大手道を進みます。 七尾城史資料館からこの場所までは役10分ほどで、途中に「門の高」「小屋場」「高屋敷」の案内板があります。ここまでは林に混じって民家や畑、電柱などがありまだ人里と行った感じです。 この車道を少し進むと未舗装の細道となり、本格的な登山道となります。 |
3. 長坂 |
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先ほどの場所から妙国寺跡の案内板を経て、10分ほどで長坂に至ります。かつて長坂には赤坂口と呼ばれた門がありました。畠山氏の通用門とも、城内家臣の出入口とも言われています。遠来の人は通行を禁じられ、ここから先が城内として意識されていたようです。 |
4. 七曲り |
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長坂から時鐘跡の案内板を経て、10分ほどで七曲りに至ります。七曲りはかつて「七曲り半くぼ」と呼ばれていたようで、古文書にはここに楼門があったと記録されています。 この当たりから登山道の左右はすぐに谷となっており、尾根道であることがわかります。谷の向こうの尾根を見ると谷の深さを実感でき、こうした地形を生かした七尾城の堅固さをうかがい知ることができます。 |
5. 安寧寺跡 |
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七曲りから番所の案内板、木々が途切れ見晴らしの良い場所を経て10分ほどで安寧寺跡に至ります。安寧寺跡には畠山氏の墓碑や七尾城攻防戦で滅んだ武士たちの慰霊碑があります。 かつてはお堂などが建てられていたのか、これまでの番所や時鐘跡と比べて大きな曲輪になっており、登山を初めてから初の曲輪らしい曲輪になります。 |
6. 三の丸跡 |
7. 二の丸跡 |
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三の丸の南側に位置する二の丸は、本丸に次ぐ第二の拠点で、周囲をたくさんの小曲輪に囲まれています。三の丸との間の深い堀を昇り降りするための階段は相変わらず急で、安寧寺跡から二の丸跡まででかなりの体力を消耗します。 |
8. 九尺石 |
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九尺石は七尾城で最大の石材で、城の鎮護のかなめ石とされていました。大きさがそのまま名前となっています。 |
9. 桜馬場跡 |
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桜の馬場は軍馬の調練や検分を行うための曲輪です。東西45メートル、南北25メートルの広さがあります。桜の馬場と遊佐屋敷を仕切る石垣が残っています。この石垣の上に城壁が建てられていたのでしょうか。 石垣背後の丘は西の丸跡になりますが、登山道が整備されておらず立ち入ることはできませんでした。 |
10. 本丸跡 |
11. 調度丸 |
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桜の馬場の北側に位置する調度丸からは、桜馬場の五段に積まれた石垣を見ることができます。七尾城の中で最も見応えのある光景で、杉木立の中の野面積の石垣は幻想的ですらあります。城が現役の頃はこのような木立はなく、麓からも石垣群を望むことができたのではないでしょうか。 この石垣を見るために七尾城に来たといっても良く、苦労の山登りの甲斐があったと感じました。 |
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