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彦根駅から歩いて15分ほどで、二の丸佐和口多門櫓に到着します。二の丸佐和口多門櫓は元和8年(1622年)に井伊直孝の手により完成したと言われています。左側(奥)の建物は明和4年(1767年)火災で焼失し、明和6〜8年に再建された江戸時代の建物です。右側(手前)の建物は明治初期に取り壊されましたが、昭和35年(1960年)に再建されたものです。近くには幕末の大老、井伊直弼が青春時代をすごした埋木舎があります。
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埋木舎前の小道です。
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二の丸佐和口多門櫓を過ぎると馬屋があります。写真は馬屋の内部です。馬は作り物です。馬屋は藩主の馬などを常備した建物で、21頭もの馬を収容することができ、かつてはさらに大きかったようです。全国の近世城郭に残る大規模な馬屋は他に例が無く、重要文化財に指定されています。
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馬屋の前に表門があります。表門の先が有料エリアになります。表門を入ると表御殿を復元した彦根城博物館があります。御殿の表向きを耐火構造のコンクリート造り、奥向きを伝統的な木造造りとして復元しています。ここでは井伊家に伝来する甲冑や、茶道具などが展示されています。美しい庭園もあります。写真は庭園の眺めです。
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表御殿の横に本丸方面へ通じる表坂があります。
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表坂を登りきると、天秤櫓の下に出ます。鐘の丸から本丸をつなぐ廊下橋を中央として、左右対称に建てられており、天秤のような形をしていることからこの名で呼ばれています。櫓門の役割もあります。羽柴秀吉の長浜城の大手門を移築したものといわれています。なお、この形式の櫓があるのは彦根城だけです。重要文化財に指定されています。天秤櫓を見上げ撮影しました。
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正面から見た天秤櫓です。
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天秤櫓を通ると、左側に時報鐘があります。元々は、天秤櫓手前の鐘の丸にあったものですが、そこからだと鐘の音が城下の北の隅に届かなかったため、移築したものです。現在も午前6時から午後6時まで3時間ごとに鐘をついています。
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太鼓門櫓です。本丸の表口を守る櫓門で、ここに太鼓をおいて城中に合図をしたことから、この名で呼ばれています。この櫓は、彦根山にあった彦根寺の桜門ではないかといわれています。重要文化財に指定されています。
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天守東面です。太鼓門櫓を抜けると天守が出迎えてくれます。三層三階の小さな天守ですが、屋根には「切妻破風」「入母屋破風」「唐破風」、窓には「華頭窓」、最上階には「廻縁」を使用し、非常に装飾性の高い天守になっています。この天守は大津城の天守を移築したものと伝えられています。堂々の国宝天守です。
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天守北東面。
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天守北東面のアップです。屋根が幾重にも重なり大変美しいです。
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西の丸方面から見た天守です。左側には続櫓と多門櫓が続きます。天守の石垣は野面積みで積まれています。
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西の丸南西隅に建つ西の丸三重櫓です。一説によると小谷城の天守を移築したものとも言われますが、小谷城に層塔型で漆喰塗りの新しい方式の天守があったかはかなりあやしいと思います。重要文化財に指定されています。
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西の丸から黒門に続く下り坂です。左側の石垣は西の丸の石垣で、野面積みの見事なものです。こういう苔むした石垣は雰囲気があって好きです。
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黒門から見た内堀です。このあたりは打ち込み剥ぎの総石垣になっています。
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黒門を出て内堀を渡ると、玄宮園があります。近江八景を模して造られた縮景園で、四第藩主井伊直興によって延宝5年(1677年)に造営されました。彦根城天守を借景としているのも特徴です。借景とは庭園外にある、自然物や建造物を庭園の背景として取り組む技法のことです。つまり、彦根城天守がなければこの庭園は成り立たないわけです。
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内堀沿いをぐるっと回って、大手門に到着です。このあたりの石垣は打ち込み剥ぎの鉢巻腰巻石垣となっています。鉢巻石垣は土塁の上に鉢巻のように石垣を積む技法、腰巻石垣は腰巻のように土塁の下に石垣を積む技法で、このふたつを組み合わせ、下から石垣-土塁-石垣となったものを鉢巻腰巻石垣と呼びます。石の節約ができ、他には江戸城などにこの技法が使われていますが、数は多くなく、珍しい技法です。
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最後は中堀越しに天守と西の丸三重櫓を撮影しました。右側が天守、左側が西の丸三重天守になります。中堀はかなりの幅があり徳川譜代35万石の風格を漂わせています。天下普請で作られただけのことはあります。
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