松代城
まつしろじょう
別名 | 海津城 |
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形態 | 平城 |
築城年 | 永禄3年(1560)ごろ |
築城者 | 武田信玄 |
主な城主 | 武田氏、織田氏、上杉氏、田丸氏、森氏、松平氏、酒井氏、真田氏 |
所在地旧国名 | 信濃 |
所在地 | 長野県長野市松代町松代44 |
アクセス |
JR長野駅
↓アルピコ交通バス 【30】古戦場経由松代行(約30分)
松代駅
↓徒歩(約10分)
太鼓門
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アクセスのしやすさ | ☆☆☆☆ |
概要 |
武田信玄が北信濃支配のため千曲川流域に築いた。かの川中島の戦いの争奪の的となった城。
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年表 |
●戦国時代
永禄3年(1560)ころ、武田信玄が北信濃支配の拠点として海津城を築城する。
●安土桃山時
天正10年(1582)、武田氏滅亡後、織田家臣、森長可の居城となる。本能寺の変により森長可、美濃に退去。空城となる。森長可退去後、上杉景勝の支配下に入る。
慶長3年(1598)、上杉景勝が会津に転封となる。豊臣家支配地となり田丸直昌が入城する。
慶長5年(1600)、森忠政が入城する。海津城から待城へと改名する。
●江戸時代
慶長8年(1603)、松平忠輝が越後高田と合わせて松代を領有する。待城から松城へと改名する。以後真田氏入城まで城主が転々とする。
元和8年(1622)、真田信之が信濃上田から転封となる。以後明治維新まで真田氏が城主を務める。
正徳元年(1711)、松城から松代城へ改名する。
●明治時代以降
明治5年(1872)、廃城。跡地は畑となる。
明治37年(1904)、本丸跡が遊園地として開放される。
昭和26年(1951)、真田幸治により本丸が寄付され、公用地となる。
平成16年(2004)、太鼓門、堀、石垣、土塁などが復元される。
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遺構 |
普請:石垣、堀
作事:なし
天守:天守台のみ残る
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案内図など |
城内案内図(1300x1200)
江戸時代末期のイメージ(鳥瞰図)(1600x950)
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登城日 | 2013/1/5 |
松代城へのアクセスはJR長野駅から路線バスを使用します。1時間に2本程度運行されているため、不便は感じません。
また、松代駅までの間に川中島古戦場や長野市立博物館があるので、時間に余裕のある方は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
地図で松代城を検索すると、城の目の前に松代駅があります。一見すると電車で行けそうなのですが、この路線(長野電鉄屋代線)は2012年4月に廃線となっているため注意してください。
松代城の前身は海津城で、武田信玄が北信濃支配の拠点として築いた城です。かつては城のすぐ近くに千曲川が流れていました。
武田四天王の一人、高坂昌信が城代を務め、川中島の戦いの際には武田軍の本陣となっています。
天守台から西を見ると上杉謙信が本陣とした妻女山があります。直線距離で1.5キロメートルくらいでしょうか。
海津城からは妻女山の上杉軍の様子がよく見え、信玄本隊到着までさぞ心細かったことでしょう。
築城からしばらくは石垣のない中世城郭でしたが、真田氏の時代に石垣を有する近世城郭となりました。しかし、櫓門などは真壁造の栩葺(とちぶき)で、いかにも中世の城といった感じで面白いです。
各写真は大きな写真にリンクしています。各写真の下の番号は
城の地図と対応しています。赤い番号は写真の撮影対象の場所を示し、青い番号は写真の撮影場所を示します。
1. 太鼓門
太鼓門は本丸の大手に当たり、本丸南面のほぼ中央に位置する枡形門です。堀に面した外門は高麗門、内門は一見すると渡櫓門のように見えますが、楼門となっています。時を告げる太鼓を備えていました。
内門と楼門はどちらも南側に向かって開かれており、外門から内門へはクランク状に折れ曲がる動線となっています。枡形はあまり広くはありませんが、枡形門の中でも最強と呼ばれる内枡形を形成しています。
現在の外門、内門、これらに続く袖塀は平成16年(2004)に木造で復元されたものです。内門は良好な状態で残っていた礎石をそのまま利用し、絵図面などを参考に栩葺で切妻造の姿が忠実に復元されました。
この太鼓門に限らず、松代城の建物は、外壁に柱をそのまま見せる真壁造で、栩葺の屋根と相まって中世城郭のような趣となっています。
2. 本丸
本丸は東西役100メートル、南北90メートルほどの規模で、野面積みの総石垣で固められています。本丸には三棟の櫓があり、中央に本丸御殿がありました。
江戸時代中頃まで政庁や藩主の住居として使用されていましたが、亨保2年(1717)に火災で消失しています。
明和7年(1770)には、城のすぐ北を流れる千曲川の水害の影響により、城の南西に位置する花の丸に御殿が移され、本丸は機能を持たなくなりました。
3. 戌亥隅櫓台
本丸には南東、南西、北西の隅に櫓がありました。特に北西の戌亥隅櫓台は規模の大きさから天守台と呼ばれることもあります。
その石垣は松代城内でも最も古く、近世初頭のものといわれています。
現在の石垣は、明治以降に改変や消失した箇所、構造的に不安定になっていた箇所を当時と同じ方法で積み直したものとなっています。
また、本丸の北西の隅には戌亥隅櫓台に匹敵する巨大な出隅が設けられています。
4. 戌亥隅櫓台からの眺め
戌亥隅櫓台からは川中島の戦いで上杉謙信が本陣とした妻女山(写真左端の山)を間近に望むことができます。また、遠くには北アルプスの山々を望むことができます。
かつては城のすぐ北側から西側(写真手前の住宅地のあたりか)にかけて千曲川が流れていました。
5. 北不明(あかず)門
北不明門は本丸の搦手に当たり、本丸北面の東端に位置する枡形門です。外門は高麗門、内門は楼門となっています。
外門は西側に、内門は北側に向かって開かれており、外門から内門へは直角に折れ曲がる動線となっています。外門の正面には本丸北東の出隅があり、守りを固めています。
枡形は細長く、ほとんど通路といった感じで、外枡形を形成しています。18世紀中頃に行われた千曲川の改修以前は、門が河川敷に接していたことから「水之手御門」と呼ばれることもありました。
6. 本丸北面全景
本丸北面の全景です。百間堀跡に面した土塁上から撮影しました。右端から戌亥隅櫓台、中央奥が太鼓門、中央手前が北不明門、左端が本丸北西の出隅です。
7. 埋門
埋門は二の丸の北西に位置する門です。トンネル状に造られた門で、緊急時にはその名前の通り土で埋めるようになっていました。松代城ではこのような埋門が二の丸土塁に三箇所設けられていました。
この埋門は復元されたもので、江戸後期の絵図には写真のように門のまわりを扇状に囲む埋門が描かれています。石垣に設けられた埋門は姫路城などにありますが、土塁に設けられた埋門は珍しいのではないでしょうか。
8. 本丸石垣
本丸は総石垣で築かれ、東面、西面、南面が水堀に接しています。石垣は野面積で、隅は算木積を意識しているように見えますが、まだ完成の域には達していないようです。
1枚目写真の奥は戌亥隅櫓台です。2枚目写真の中央は太鼓門です。3枚目写真の中央の橋は、東不明門前橋です。東不明門は、通常は閉じられており太鼓門前橋などが崩落し利用できなくなった時などに、通用門として開かれたようです。
9. 百間堀跡と新堀
築城当時、本丸の北は直接千曲川の河川敷に面していました。江戸時代後半に千曲川の改修工事が行われ、川と城の間には千曲川の河道を利用した百間堀、土橋を挟んで東側には新堀が造られました。
それらの掘際には「不崩(かけず)の土手」と呼ばれる土塁が築かれ、こうした土塁に先ほどご紹介した埋門が設けられました。現在、百間堀は埋め立てられ住宅地となっていますが、新堀はほぼその姿を残しています。
10. 二の丸石場門
二の丸の東面ほぼ中央には石場門がありました。発掘調査では門礎石が見つかっています。外堀側に向かって曲線的に構築されていること、比較的小さな石材が布積で積み上げられていることが特徴で、松代城内の他の石垣とは違った印象を受けます。
11. 新御殿
新御殿は元治元年(1864)松代藩9代藩主・真田幸教によって造営された御殿です。造営当時は三の堀の南に接していました。
当時、松代城内にはすでに「花の丸御殿」があったため、これと区別するため幸教自身が新御殿と呼ぶように口達したという記録が残されています。
当初は、幸教の義母・貞松院の居宅でしたが、明治以降は真田家の私邸となり、昭和41年(1966)に松代町に譲渡され、現在に至ります。
御殿の周りには庭園や土蔵なども残されており、いわゆる御殿建築でこれらを含めた全体が残っている例は全国でも稀です。
御殿建築は公的な空間である表向と、私的な生活空間である奥向から構成されますが、新御殿は貞松院の居宅として造営されたためか、奥向に重点が置かれたつくりとなっています。
現在は、台所棟などを除いて一般に公開されています。
・玄関…玄関は大小ふたつがあり、身分に応じて使い分けられていたようです。
・御湯殿…土間に湯船を置いていました。右側の洗場(?)は傾斜をつけて板が貼られ、湯水を流すようになっていました。
・便所…木製の和式便所です。すぐ隣には手洗い場もあり、衛生的かつ想像以上に今風の造りになっています。
・御居間…主人の私的な部屋で、主屋の奥に位置しています。庭園に面し、四季のうつろいを身近に感じることができます。この当たりの襖は美しい絵画で飾られています。
・表座敷…年中行事や訪問客との対面が行われた部屋です。主屋の中心となる建物で、庭園の眺めが最も良い場所です。
・庭園…大名庭園に多く見られる回遊式(歩いて見て回る)庭園ではなく、座観式(御殿から眺める)庭園です。松代の山々を借景としています。
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