KemaAkeの全国城めぐり

宇和島城 うわじまじょう
別名 鶴島城
形態 平山城
築城年 天慶4年(941年)
築城者 藤堂高虎
主な城主 藤堂氏、富田氏、伊達氏
所在地旧国名 伊予
所在地 愛媛県宇和島市丸之内1丁目
アクセス ●徒歩によるアクセス
JR予讃線 宇和島駅から徒歩30分(天守閣まで) 山の入り口までは徒歩15分
アクセスレベル ●徒歩でのアクセスレベル
☆☆☆☆☆
概要 文禄4年(1595年)に豊臣秀吉から板島の地を与えられた藤堂高虎の手により、中世城郭であった丸串城の跡に近世城郭として築城を開始。慶長6年(1601年)高虎は関が原の戦いの功績により伊予国府(現今治)に加増転封されるが、このとき高虎は城の完成を待ってから国府に移り、名前も宇和島城と改名している。その後、幕府直轄、富田氏の統治を経て、慶長19年(1614年)に伊達政宗の長男である伊達秀宗が宇和島に入封し以後明治維新まで伊達氏が城主を勤める。
寛文4年(1664年)に伊達宗利により天守閣以下城郭全部の大修理を行った。天守閣はこのときに建てられたものである。このように伊達氏の手により修築が加えられているが、基本的な造りは高虎のものを踏襲している。なお、掘は埋め立てられて現在まったく残っていない。
登城日 2009/05/06
撮影カメラ RICOH R10
みどころ まずは現存天守閣です。小さいながらも装飾性が高く立派です。そして高石垣群。城山全体が深い森となっており、森の中で苔むした高石垣を見ていると不思議な気分になります。

登城記
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窪川駅にて

いきなり電車の写真です。今回の旅の目的のひとつに四万十グリーンラインこと予土線に乗って、四万十川の清流を見てみたい!というものがありました。そのため、高知から予土線の終着駅窪川に向かい、そこで写真のワンマンカーに乗り換え美しい四万十川沿いを進みました。そして高知から4時間ほどかけて宇和島に到着。高知から宇和島へは直通特急が運行されていないため時間はかかりますが、のんびりした雰囲気でよかったです。
南予文化会館前から天守閣を望む

先日の高知とはうってかわって天気に恵まれました。例のごとく荷物をホテルに預けてお城へ。と、その前にもうお昼なので商店街のイタリア料理店でアンチョビのペペロンチーノを食べました。少し歩くと天守閣が見えてきました。
藩老桑折氏武家屋敷門

宇和島藩の家老である桑折氏の武家屋敷の長屋門です。屋敷跡に残されていたものを昭和27年(1952年)に移築したものです。江戸中期のころの建物だそうです。一部は失われていますが、貴重な武家屋敷の建造物です。往時はこのあたりに三ノ丸御殿がありました。しかし、お城の入り口にあると城門と勘違いしてしまいそう…
井戸丸門跡

長屋門から階段を上っていくと、井戸丸門跡があります。城内に三つある井戸のうち最も重要な井戸を守っています。
野面積みの石垣

井戸丸門跡の野面積みの石垣です。
井戸丸の井戸

井戸丸の井戸です。井戸の直径2.4メートル、周囲8.5メートル、深さは役11メートルあります。井戸丸は三の丸からの上り道に当たり、数少ない城山の遺構です。
三の門跡

井戸丸の次から階段を上り、分かれ道を右に進むと三の門跡です。
二の丸から天守閣を望む

さらに階段を上ると二ノ丸です。二ノ丸から天守閣を撮影しました。写真下が三の門跡になります。往時は二ノ丸には御算用矢倉が建っていたのみで御殿はありませんでした。二ノ丸がかなり狭い(本丸の三分の一くらい)ので建てられなかったのでしょうか?
一の門跡

一の門跡です。階段の上が本丸になります。本丸もあまり広くないため御殿はありませんでした。そうすると宇和島城の御殿は三ノ丸御殿のみということになります。
北西から見た天守閣

天守閣です。1666年(寛文6年)に伊達宗利によって建てられた、層塔型の天主です。1枚目はよく撮られる西からのアングルではなく、北西から撮影してみました。
北東から見た天守閣

天守閣の北東からのアップです。小さい天守閣ですが、千鳥破風や軒唐破風、向唐破風で飾られ、装飾性が高いため太平の世を象徴するものと評されています。
向唐破風と千鳥破風のアップ

向唐破風と千鳥破風をアップで撮影。
藤兵衛丸に建つ城山郷土館

天守閣を後にして山を下り、上り立ち門方面へ向かいます。途中藤兵衛丸があり、現在そこには城山郷土館が建っています。左側の蔵風の建物は三ノ丸にあった武器庫を移築したものです。
雷門跡

雷門跡です。
長門丸から雷門跡を望む

長門丸から雷門跡を望む。
代右衛門丸、南角矢倉の石垣

さらに下ると状態の良い石垣がありました。代右衛門丸の南角矢倉跡の石垣です。
三段の石垣

途中で振り返ると三段の石垣が折り重なった迫力の光景がありました。一番上のひときわ高い石垣は代右衛門丸の石垣です。青いシートが見えますが、石垣の保護工事のものです。竹をはじめとした植物と苔むした石垣群が織り成す幽玄の美といった感じです。(パンフレットに書いてありました)
上り立ち門

上り立ち門です。城山南側の追手道口に位置しています。武家の正門とされる薬医門形式で作られており、創建年代が宇和島城築城時の慶長期まで遡る可能性がある貴重な門です。

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