KemaAkeの全国城めぐり
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根城
ねじょう
別名なし 主殿
形態平城
築城年と築城者建武元年(1334)南部師行
主な城主八戸氏
住所と所在地旧国名青森県八戸市根城字根城47(陸奥)
アクセス JR八戸駅
八戸駅前バス停
↓南部バス(約10分)
根城[博物館前]バス停
↓徒歩(約1分)
八戸市史跡根城の広場
概要
馬淵川南岸の河岸段丘上に築かれた連郭式平山城。石垣を使用しない中世城郭。
曲輪、空堀、土塁が良好な状態で残り、中世城郭としては珍しく発掘調査の結果に基づき主殿や中馬屋など多くの建物が復元されている。

-----------歴史------------
・建武元年(1334) 南部師行が築城
・明徳4年(1393) 南部氏8代の八戸政光が本領の甲斐から根城に移り八戸氏となる
・天正18年(1590)  小田原征伐により南部信直は豊臣秀吉に帰参。八戸氏もその支配下に組み込まれる
・天正20年(1592) 秀吉の命により城は破却されるが館は残される
・寛永4年(1627) 八戸氏22代・直義が遠野城に移封となり廃城となる
遺構 普請:曲輪、空堀、土塁
作事:現存せず
天守:なし
登城日2019年2月24日
おすすめ度☆☆☆
感想など
・アクセス
根城はJR八戸駅からバスで10分ほどの根城[博物館前]バス停の目の前にあります。 バスで10分ほどということで歩いての登城も可能と思います。

・感想
根城は曲輪や空堀、土塁が良好な状態で残された貴重な中世城郭です。 土のみで築かれた中世城郭は風化や市街地化などにより遺構が残りにくいのですが、根城ではこれらが良好な状態で残っていることに驚かされます。 また、中世城郭として初の建造物復元が行われた城であり、主殿や中馬屋など数多くの建物が復元されています。 良好な状態の遺構と復元建物により「土の城」「中世の城」を実感できる貴重な城となっています。

登城記
1. 八戸市博物館
撮影場所1 南部師行銅像その一
南部師行銅像その一
南部師行銅像その二
南部師行銅像その二
根城跡に整備された「八戸市史跡根城の広場」横には八戸市立博物館があります。 八戸市内で発見された土偶や、土器、古代太刀の一部、根城からの出土品などが展示されており、南北朝時代の八戸氏の活躍、江戸時代初期に誕生した八戸藩2万石の政治、経済、文化の2つを中心に、そのあらましが理解できます。
玄関前の南部師行の騎乗像はなかなかにかっこよく根城を訪れたら必見です。
根城の日本100名城スタンプはここにあります。
2. 東善寺館
撮影場所2 旧八戸城東門
旧八戸城東門
旧八戸城東門
旧八戸城東門
三番堀
三番堀
三番堀
三番堀
根城は本丸、中館、東善寺舘、岡前舘、沢里舘の五つの曲輪からなる連郭式平城で、八戸市立博物館には東善寺舘が面しており、入り口には旧八戸城東門が移築されています。 この門は1857年に大風のため倒れ家臣の木幡氏の門として移築されたものですが、もともとは根城にあった門を八戸城に移築したものともいわれており、これが本当であれば長い年月を経ての里帰りとなります。 門の裏には三番堀と呼ばれる空堀が東西に伸び、城の東端となっています。
3. 中舘
空堀
空堀
空堀
空堀
中舘
中舘
中舘再建建物
中舘再建建物
中舘と本丸
中舘と本丸
本丸模型
本丸模型
中舘から見た馬淵川方面
中舘から見た馬淵川方面
中舘から見た八甲田山
中舘から見た八甲田山
中舘は八戸氏の重臣である中舘氏の屋敷があったとされる曲輪です。中舘の北側からは馬淵川方面の見晴らしがよく、遠く八甲田山を見ることができます。
4. 本丸東門周辺
本丸東門周辺
本丸東門周辺
本丸東門
本丸東門
本丸東門
本丸東門
本丸東門
本丸東門
本丸跡は八戸氏の当主やその家族が居住していた根城の中で最も重要な郭です。 昭和53年(1978)から11年間による発掘調査が行われ、約400棟の建物跡が発見されました。 この発掘調査の結果から、安土桃山時代に相当する建物跡に基づいた復元整備が行われました。
復元建物を見るとどれも板葺きや茅葺きで、一見すると弥生時代の竪穴式住居のようなものもあります。 安土桃山時代になると近畿地方では瓦葺きが城郭建築として普及しますが、東北地方、ましてや本州の北端ではまだまだ一般的ではなかったことが伺えます。 もっとも瓦の使用については弘前城も銅板葺きとなっていますし、寒冷地ゆえに使用したくても難しかったということもありそうです。
5. 納屋
納屋
納屋
納屋内部
納屋内部
本丸跡では30棟以上の納屋跡が発見されており、工房や鍛冶工房と異なり本丸の端に寄せて建てられていました。 その一部が復元されており、地面を30センチほど掘り下げて土間とし、出入口が小さく窓もないため内部は薄暗くなっています。 米・味噌・梅漬などが保存されていたと考えられています。
6. 常御殿・奥御殿跡
常御殿・奥御殿跡
常御殿・奥御殿跡
常御殿・奥御殿跡
常御殿・奥御殿跡
常御殿は当主が寝起きし、領内を治めるための仕事をしていた建物です。重臣たちと協議したり、来客と接見するための広間や寝所、従者の詰め所などがあったと考えられています。
奥御殿は当主の家族が住んでいたところで、先祖の霊も祭られていました。
常御殿跡と奥御殿後は柱跡と建物輪郭が平面復元されています。
7. 板蔵
板蔵
板蔵
板蔵内部
板蔵内部
板蔵は当主やその家族が奥御殿で使う道具や衣類を保管しており、出入りしていたのは奥御殿に使える女性たちだったと考えらています。
屋根は板葺きで、品物を守るために壁板は厚さ6センチの厚板を使用しています。 壁板は柱の溝に上部から落とし込んでおり簡単に外すことができません。
8. 鍛冶工房
鍛冶工房
鍛冶工房
鍛冶工房内部
鍛冶工房内部
鍛冶工房では職人が鎧や刀の部品、釘などを作っていました。金属は大切にされ、壊れた破片も再利用されていたようです。
屋根は茅葺き、竪穴式で地面から90センチ下にある鍛冶場にはフイゴと炉があり、周囲には鍛冶道具や不要になった鉄、銅銭、炭などが置かれた様子が再現されています。
9. 工房
工房
工房
工房内部
工房内部
工房では職人たちが合戦や儀式にそなえ鎧や弓などの修理をしていました。 鎧のつづり紐や部品の交換、弓の漆の塗り直しなどが行われ、その様子が再現されています。
屋根は茅葺き、竪穴式で地面を長方形に掘り下げ土間とし、その上に床を敷いています。 このような竪穴建物は東北地方北部から北海道南部の城や舘でよく見られます。
10. 主殿外観
主殿
主殿
主殿
主殿
主殿
主殿
上馬屋
上馬屋
本丸中央にはひときわ大きな主殿が復元されています。
当主が特別な来客を行ったりさまざな儀式を行った建物で普段は使用していなかったようです。 儀式で使う道具や南部家に伝わる重宝もここに収められ管理されていました。
玄関のそばには上馬屋(かみのうまや)が建てられ当主の馬が繋がれていました。 南部地方は古くから駿馬の産地として知られ、それら南部駒の中で特に優れたものが当主の馬に選ばれていました。
11. 主殿内部
台所
台所
詰之間
詰之間
茶之間
茶之間
広間
広間
祈祷之間
祈祷之間
廊下
廊下
主殿模型
主殿模型
廊下
廊下
主殿は近世城郭の本丸御殿と比べるとこじんまりとしており内部構造も単純です。 畳敷きの部屋が一切ないところも近世城郭との大きな違いです。 それぞれの部屋には詰之間や祈祷之間などと名付けられていますが、図面に基づいた復元ではないのでこのあたりは推測と思われます。 主殿の中心となる広間は南東の角部屋となっており日当たりがよいです。
12. 中馬屋とおおいちょう
中馬屋
中馬屋
中馬屋
中馬屋
中馬屋
中馬屋
おおいちょう
おおいちょう
中馬屋(なかのうまや)は来客の馬が繋がれた建物です。手前の部屋にはほうきや桶などの道具や干し草が入っていました。 当時の有力者は板張りの馬屋を作っており、この中馬屋も板張りとなっています。 馬が入る各部屋は狭いですが、当時の馬はかなり小さく体格の良い馬でも体高は1.3メートルほどだったので、馬を留めるのであればこれで十分だったのでしょう。
中馬屋の裏には巨大ないちょうの木があり、築城当時からのものと伝えられていますが、樹齢ははっきりしていません。直径4メートル、高さ20メートルを超える巨木で、伝承が本当であれば根城の生き証人ということになります。
13. 本丸周囲の空堀
本丸周囲の空堀
本丸周囲の空堀
本丸周囲の空堀
本丸周囲の空堀
本丸周囲の空堀
本丸周囲の空堀
本丸周囲の空堀
本丸周囲の空堀