小田原城御用米曲輪では2011年から断続的に発掘調査と整備事業が続いています。11月25日(土)に2015年以来実に8年ぶりの発掘調査現地説明会が行われました。
前回、第9回説明会の記事では”最後”の説明会と記載しましたが最後ではなかったですね。想定外の大発見もあり発掘調査が伸びているのでしょうか。発掘と整備はまだまだ続くようです。
これまでの説明会については以下を御覧ください。
第1回(2012年2月4日)
第2回(2012年8月18日)
第3回(2013年2月16日)
第4回(2013年10月19日)
第5回(2013年11月23日)
第6回(2013年12月21日)
第7回(2014年3月8日)
第8回(2014年11月8日)
第9回(2015年3月7日)
御用米曲輪では平成に入って第2次調査から現在進行中の第8次調査が行われています。第3次調査(2011年)では江戸時代の絵図通りの蔵跡を検出しました。
特に第4次調査では戦国時代の礎石建物跡、切石敷遺構や石組水路、池などが確認され、これらは北条氏時代の会所と庭園と考えられています。庭園は様々な種類の石材をタイル状に敷き詰めた全国に類を見ないもので北条氏独特の文化があったのではと戦国ファンの間で大きな話題になりました。私自身も小田原城主要部から北条氏時代の施設跡がついに見つかったと興奮しました。詳しくは第7回、第8回の記事をご覧ください。
現在進められている第8次調査では、第4次調査で確認された北条氏時代の庭園の東側の調査を行い、これまで確認された北条氏時代の石組水路がどこまで展開しているかを明らかにすることが目的となっています。
今回公開された8次調査Ⅱ区は、何回も折れ曲がる石組水路、砂利敷遺構、玉石敷遺構、井戸、礎石跡などが確認されました。
・石組水路
石組水路は、方向が北西-南東、北東-南西のものが見つかり、これらはクランク状に曲がった一連の水路である可能性があります。今回の調査で見つかった石組水路はこれまで隣接する調査区で見つかった石組水路とつながる可能性があるとのことです。石組水路からは多数のかわらけの破片が見つかっており、水路周辺でなんらかの儀式が行われていたのではないかと考えられています。
・砂利敷遺構・礎石跡
調査区の北東側では砂利敷と玉石時期が見つかりました。砂利が円形に抜けている範囲には礎石があった可能性があるとのこと。
・井戸
調査区の中央では石組の井戸が見つかりました。井戸の上層からは江戸時代の瓦が出土しており、井戸が埋まったのはこの時期と考えられています。
以上が今回の第8次調査で確認された遺構です。
・整備状況
今回は整備状況についての説明も行われました。特に目についたのは瓦積塀周辺の整備です。
瓦積塀は御用米曲輪西側、本丸斜面で見つかった小田原城唯一の江戸時代の構造物です。整備に当たってはオリジナルの遺構は保護のため埋め戻し、その上に盛り土を行い周囲で見つかった石垣は復元し、瓦積塀はレプリカを設置しています。
当初、御用米曲輪は江戸時代の姿で整備を行うという方針になっていましたが、北条氏時代の遺構が数多く見つかったことで江戸時代、戦国時代それぞれのエリアを設けて整備を行う方針に変わりました。
江戸時代エリアの目玉は瓦積塀、戦国時代エリアの目玉は切石敷庭園になるかと思いますが、現時点では遺構保護のため埋め戻されています。個人的にはオリジナル遺構を露出展示してほしいというのが本音ですが、大規模な覆屋や展示施設で遺構を保護する必要があり、他の城跡や遺跡の整備状況などを考えるとなかなか難しいのではと思っています。
遺構の露出展示については御用米曲輪の環境調査エリアで、発掘調査で出土した遺構の露出展示の可能性を検討するため、各種石材に基質強化剤や撥水剤を塗布して長期間設置し、石材への影響を調査しています。この調査結果によってはオリジナル遺構の露出展示もあり得るかもしれません。
詳しくは史跡小田原城跡御用米曲輪戦国期整備検討部会のページの会議録をご覧ください。
最後に、御用米曲輪の端に発掘で見つかった瓦片が山積みになっていました。これだけの瓦片が見つかったことに驚きです。