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四国城めぐり最終日です。今日は丸亀城にも行くため、急いで今治城に向かいます。少し迷いながらも、街の間から見える天守閣を頼りに今治駅から歩いて20分ほどで山里櫓側の入り口に到着しました。
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山里櫓のアップです。櫓の二層目の窓の間にもうひとつ窓のようなものがありますが、これは窓ではなく石火矢(大砲)用の狭間です。このような大砲用の狭間は珍しいもので、古写真を参考に復元されました。
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山里櫓前から天守閣を見上げる。慶長13年(1608年)に伊賀・伊勢に転封となった高虎は今治城天守閣を丹波亀山城に移築したとされます。高虎は今治城天守閣を新たな自分の領地の伊賀上野城に移築するつもりだったようだすが、豊臣秀頼への押さえを強化していた家康の意を汲み取り丹波亀山城に献上し、家康に大変喜ばれたと伝えられています。また、この天守閣が全国初の層塔型天守閣であるとも。亀山城の天守閣は幕末まで残っていました。
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天守閣と藤堂高虎像。現在の天守閣は、今治城天守閣が移築されたとされる亀山城の古写真を参考に鉄筋コンクリートで昭和55年(1980年)に復元されたものです。しかし、亀山城の天守閣は、破風などの飾りがまったくないシンプルなもので、復元されたものとは大きく造りが異なっています。また、今治城の古地図によると現在の天守閣の位置には北隅櫓が建っており、天守台の遺構は見つかっていません。そのため、そもそも今治城に天守閣はあったのか?という声もあります。
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天守閣入り口。石垣は北隅櫓が建っていた石垣を拡張したため、真新しい感じがします。天守閣の内部は甲冑をはじめ、古地図など今治城に関する資料、今治の自然・産業などについて展示した郷土資料館となっています。どうでも良いのですが、天守閣二階に幽霊の掛け軸が展示されており、平日の午前10時ということもあり私以外見学者が誰もおらず、ちょっと気味が悪かったです。心なしか天守閣の中も寒かった…鉄筋コンクリートだから冷えていたんですよね、きっと。
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天守閣最上階からは来島海峡大橋を望むことができます。
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天守閣最上階から鉄御門を見る。今治城は現在、本丸を囲む内堀しか残っていませんが、かつては中堀、外堀まである連格式の大きな城でした。今治の街中を流れる蓮掘川が中堀、金星川が外堀の名残になります。
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吹揚神社です。天守閣の横にあります。本丸内には吹揚神社の社務所があるのですが、民家のようで最初は本丸の中に家がある!と驚きました。天照大神などを祀っています。
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天守閣の鯱。
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北東から天守閣を撮影。天守閣最上階に扉がないように見えますがちゃんとあります。天守閣内部の見学の際「風が強い場合は閉めてください」との事だったので閉めてきたのですが、扉の色と壁の色が一緒なので扉が無いように見えます。ちょっとかっこ悪いです。失敗したかな…
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鉄御門を内側から撮影。鉄御門は本丸の大手門であり、明治4年に焼失、石垣も翌年には取り壊されました。平成19年(2007年)に今治城築城・開町400週年の記念として、石垣を含め可能な限り江戸時代の姿に木造復元されました。多門櫓で囲み、門を鉄張りとすることで最強ともいえる構えとなっています。このような門前を三方から囲んで攻撃できる形式の門を枡形門と呼び、その完成期初期のものが今治城の鉄御門と推定されています。
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鉄御門を外側から撮影。扉が鉄張りであることがわかります。
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天守閣と鉄御門。鉄御門は下見板張りになっています。
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掘に泳いでいた魚を撮影。堀の水は瀬戸内海から引き込んだ海水で、掘には他の城の掘によく泳いでいる鯉とは違った魚が泳いでいます。案内によるとタイやボラが泳いでいるとの事ですが、魚のことは全然わからないので写真の魚の種類はわかりません。下の魚はタイっぽい気がしますが…
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北から本丸を撮影。掘沿いの二階櫓は右奥から平成2年(1990年)復元の山里櫓、中央手前が馬具櫓、左奥が昭和60年(1985年)復元の御金櫓です。掘幅が広いので、島のような印象を受けます。水際には地盤を強化するための犬走があり、これは高虎が関わった城に多く見られるものです。
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南から本丸を撮影。
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石垣をアップで撮影。野面積みの石垣で白っぽい石は石垣にはあまり使われない石灰岩です。
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