竹田駅前から見た竹田城です。
竹田城は竹田駅の裏(西側)に位置する標高353.7メートルの虎臥山の山頂に築かれています。
竹田駅の標高が約100メートルなので、約250メートルの高低差があり、駅前からはこのように仰ぎ見る形になります。
駅裏登山道の入り口です。
竹田城への登城ルートは三つありますが、今回は徒歩なので最短ルートとなる駅裏登山道から登城します。
大手門跡までの距離は約700メートルとのことですが、登山道なので平地の700メートルとは訳が違います。
竹田駅にある観光案内所と写真の駅裏登山道の入り口には無料で杖が貸し出されているので、借りることをおすすめします。
私は杖があることに気付かず杖なしで登山しましたがだいぶきつかったです。
登山道途中の石垣です。
登山道の途中では写真のような石垣をところどころで見ることができます。
この石垣が竹田城のものかは案内板等がなかったためわかりません。
ただ、この写真のすぐ手前に竹田城の家臣団の屋敷跡があり、これから登る登山道も当時の登城ルートと変わっていないようで、この石垣も当時のものと勝手に納得しています。
登山道の扉です。
一見すると立ち入り禁止?と思ってしまいますが開けて大丈夫です。
ただし開放厳禁なので注意。ここから数100メートルはひたすら山登りです。
運動不足に加え、先日の姫路城登城での10キロ以上の歩行による疲労でかなりこたえました。
杖があればだいぶ楽だと思いますので、杖を借りることを強くおすすめします。
案内板と竹田城の石碑です。
前の写真の扉から休み休み30分ほどかけて到着しました。
ここから天守台までは約260メートルありますがこの先は道も舗装されています。
なによりも城の主要部に入るため見事な石垣を見ることができ、今までの疲れを忘ることができます。
大手門跡です。
平城に比べると規模は小さいですが、枡形虎口となっています。
大手門跡から見た南千畳方面の石垣です。
大手門の内側は北千畳と呼ばれる広い曲輪になっています。
竹田城の縄張りはおおよそYの形をしており、本丸が中央の交点に位置しています。
Yのそれぞれの辺の先端から他の辺の先端を望むことができ、どこからでも見事な石垣群を一望することができます。
北千畳から見た城下町です。
かつても今と同じく竹田駅周辺に城下町が形成されていました。
三の丸への枡形虎口です。
奥には本丸の石垣と天守台が写っています。
三の丸への枡形虎口の石垣にあった矢穴です。
矢穴とは大きな石を割るために開けた穴のことで、ここに楔を打ちこんで石を割りました。
この石は結局割られなかったようです。竹田城の石垣は野面積みの一種の穴太積みと呼ばれる技法で積まれています。
野面積みは自然石をほとんど加工しないで積む方法で、水はけがよいという利点があります。穴太積みは穴太衆と呼ばれる集団によって積まれた石垣の総称で、穴太衆は織田信長の安土城の石垣も築いています。
三の丸から見た本丸方面の石垣です。
左が二の丸、一番高い石垣が天守台、その一段下が本丸になります。
これだけの石垣が山の上にそそり立っているのですから驚かされます。一部では日本のマチュピチュとも呼ばれているようですが、それもうなずけます。
ちなみに竹田城の良いところのひとつですが、石垣に安全柵等は一切ありません。ですので足元には注意してください。
弐の門跡です。
弐の門は三の丸と二の丸をつないでいます。
二の丸から見た南千畳から天守台にかけての石垣です。
左から南千畳、南二の丸、天守台となります。超広角対応デジタル一眼カメラは高くて買えないので2枚の写真を合成したものです。これで竹田城のスケールが少しはおわかりいただけるかと思います。
平殿からみた天守台と本丸です。
平殿は二の丸と本丸の北面下から西面下にかけて築かれた帯状の曲輪です。
本丸と天守台です。
写真のとおりこの天守台には梯子で登ります。10.7 x 12.7メートルの規模でややいびつな形となっています。備中松山城のような小さな天守が建っていたのでしょうか。
天守台から見た北千畳方面です。
手前から二の丸、三の丸、北千畳となります。
天守台から見た南千畳方面です。
手前から南二の丸枡形虎口、南二の丸、南千畳となります。
有名な雲海に浮かぶ竹田城の写真と同じアングルになります。
私も可能であれば雲海に浮かぶ竹田城を撮りたいのですが、いかんせん車がないためそんな早朝にここに来る手段がありません。残念。
ですが、霧がなくても素晴らしい眺めであることに変わりはありません。
平殿から見た天守台です。
左側の階段はかなりの急角度で、途中から半分ほどの幅になっています。
北千畳から見た二の丸方面です。
左から本丸および天守台、写真中央から右は二の丸の石垣となります。
右端には大手門跡とそこに続く道が写っています。
北千畳から見た天守台です。
手前には二の丸が写っています。
北千畳は写真のように広大な空間で、南千畳と同じ高さに築かれています。
北千畳にあった瓦の破片です。
竹田城ではいたるところに写真のような薄い石が落ちています。
どうも瓦の破片のようです。400年以上前の瓦が何気なく落ちているのには驚かされます。
北千畳から見た大手門跡です。
離れて見ると大手門の全体的な構造がわかり、かつてそこに建っていた建物の形を想像できます。渡り櫓門なら収まりがよさそうです。
平殿から見た花殿です。
花殿は平殿の西側下に位置しています。
花殿への道は他の道と比べると急です。そのため、築城前の地形はかなりの断崖で曲輪を築くため山を大きく削ってならしたのではないかと考えられています。
花殿の石垣です。
奥に見える山がこの場所が急峻な山の上であることを認識させてくれます。
本当にこんなところに良くこれだけの石垣を造ったものだと昔の人のパワーに感心します。
花殿から見た本丸です。

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