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名鉄小牧駅の西口から駅前通をしばらく進むと、正面に小牧山が見えてきます。他に山はなく、頂上に天主風の建物が建っているのですぐにわかります。
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小牧山東麓は帯曲輪地区と呼ばれ、山全体を囲む土塁の内側に当たり、広い平地があり多くの軍勢を収容する機能を持っていました。信長築城時は山全体を囲む土塁はなく、帯曲輪地区は複数の小さな曲輪に分かれており、武家屋敷跡と考えられています。このように小さな曲輪が多く設けられるのは、中世城郭の特徴と言われています。現在は芝生の広場になっており、小牧・長久手の戦い時の虎口と土塁が復元されています。
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復元された虎口です。南からの土塁と北からの土塁がそれぞれ、L字形に屈曲し、虎口を形成していたと考えられています。
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帯曲輪地区には信長時代の井戸も復元されています。信長時代はこの辺りは武家屋敷だったので、武家屋敷用の井戸と考えられています。素掘りの井戸で、直径2メートル、深さは3.2メートル以上あり、武家屋敷の廃絶時に埋められたようです。
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小牧城では土塁の断面が観察できるように整備されています。現在残る土塁は、徳川家康が小牧・長久手の戦いのときに築いたもので、幅12メートル、高さ3メートルほどで、外側の堀の堀底からの高さは5メートルあり、敵の侵入を防いでいました。
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帯曲輪地区から山を登ると、20分ほどで山頂に到着します。山頂までの道沿いには、崩れた石垣らしきものを見ることができました。山頂は本丸跡になり、信長時代には、三重の望楼型の建物があったとの記録が残されています。現在は京都飛雲閣をモデルにした小牧市歴史館が建てられており、内部は郷土資料館になっています。
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小牧市歴史館の最上階は展望台になっており、濃尾平野を一望でき、ここが絶好の立地であることが実感できます。設置してある望遠鏡で、犬山城の天守を確認することができました。
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大手口です。小牧山の南側に位置しており、大手道が山の中腹までまっすぐ続いています。規模こそ違えど、安土城の大手道を彷彿とさせます。大手道の周りには比較的大きな曲輪が築かれていました。現在小牧山に残る遺構は、小牧・長久手の戦い時のもので、信長築城時の縄張りに対して、山麓部分や虎口部分で大きな改修が行われたことがわかっています。信長築城時の縄張りについては資料もなく、十分解明されていません。
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帯曲輪地区の南側には、小牧城と城下町の模型があります。写真は南側から見た状態で、手前に城下町、奥が小牧城となります。
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最後に帯曲輪地区を仕切っていた堀です。もちろん復元されたものですが、このような小規模な堀でいくつかの曲輪に分けられていたようです。
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