感想など
・アクセス
津和野城はJR津和野駅からはハイキング気分で登城可能な山城で、観光リフトを使用すればほとんど山道を登ることなく主郭部まで行くことができます。
観光リフトの乗車時間は15分ほど、料金は片道400円、往復だと700円で100円お得です。
一番大変なのは電車で津和野駅までたどり着くことだと思います。
というのも津和野駅を有するJR山口線はかなりのローカル線で、津和野駅は時間帯によっては1時間以上電車が来ないこともあります。
また、新山口や津和野から直通する特急は4〜5時間に一本ということでこちらもかなり本数は少なくなっています。
津和野に電車で行く場合は時間に余裕を持った計画を立ててください。
もっとも津和野城も津和野の街も見どころが多いので、一日かけてじっくり津和野を満喫するのも良いと思います。
・感想
津和野城は期待以上の城でした。
山上の石垣はほぼ完全な形で残っており、当時の赤瓦の破片や、土塀の控え柱を建てていたであろう石材なども残っています。
なにより整備が過度に行われておらず、コンクリート敷の遊歩道や石垣端の柵がないところが素晴らしいです。
同様の近世山城として天空の城として有名になった
竹田城がありますが、観光客の急増にともないここ数年で急速な整備が行われました。
私が竹田城に登城した10年ほど前は観光客もまばらで、石垣端の柵や遊歩道などは整備されておらず、天守台に至っては梯子で登るような状態でした。
少々危険ではありますが古城の趣があり大いに感動したことを覚えています。この趣が近年の急速な整備で失われたのは否めません。
しかし、津和野城では整備前の竹田城と同じ感動を味わうことができます。
正直なところ津和野は交通の便は悪いです。しかし、それ故に観光客も比較的少なく街や城も落ち着いた雰囲気となっています。
津和野城も竹田城に匹敵する天空の城だと思いますが、有名になりすぎず今のままの状態でいつまでも残ることを願います。
登城記
1. 山麓部の藩邸跡周辺
津和野川と津和野城遠景
馬場先櫓その一
馬場先櫓その二
馬場先櫓その三
物見櫓その一
物見櫓その二
物見櫓その三
観光リフト乗り場
津和野城主郭部がある霊亀山北東の山麓、津和野川沿いには寛文年間(1661〜73)に藩邸が設けられました。
主郭部には当時の建物は現存していませんが、藩邸周辺には二つの櫓が現存しており、藩邸の櫓の現存例は全国でも稀です。
物見櫓横の道をしばらく登ると津和野観光リフト乗り場があります。
主郭部へ徒歩で登城する場合、観光リフト乗り場を通り過ぎさらに坂を登り、しばらくすると太鼓谷稲成神社の巨大な鳥居があります。
鳥居の先、駐車場手前左側に主郭部への登城道があります。
馬場先櫓
藩邸表門の左方角地に配置されていた隅櫓で、南西に馬場があったのでこの名が付けられました。
建築年代についての記録はありませんが、藩邸が嘉永6年(1854)に大火で焼失し安政3年(1856)に再建されていることから、この櫓も安政年間に再建されたものと考えられています。
二重櫓で一階は厩番役人の詰所、二階は飢饉用の穀物を備蓄していたと伝えらています。
外側に面した二階の窓が全面格子になっているのが特徴です。
物見櫓
藩邸を囲む櫓の一つで古絵図では御物見と記された櫓です。
もともとは道路向かいの津和野高校の正門付近にありましたが、大正時代の道路新設にともない現在地に移築されました。
木造瓦葺一部二階建で、南北約25メートル、東西約5メートルの細長い櫓です。かつては本瓦葺でしたが昭和の修理で桟瓦葺となっています。
馬場先櫓と同様に外側に面した二階の窓が全面格子となっており見晴らしを確保しています。
津和野百景図には物見櫓前の広場で役人らが祭りを見物している様子が描かれており、想像をたくましくすれば藩主もこの見晴らしの良い櫓から祭りを見物していたのかもしれません。
2. 中腹部
登城道からリフトを見る
中世山城遺構その一
中世山城遺構その二
中世山城遺構その三
織部丸東方の霊亀山中腹部には江戸時代に改修されなかった中世吉見氏時代の遺構を見ることができます。
小さな尾根の上に曲輪を造り、堀切、竪堀を設けていました。
ここでは険しい堀切が三重に設けられており、全国的にも珍しいものとなっています。
残念ながら堀切は明確に確認することはできませんでしたが、尾根上の曲輪はしっかりと確認するができます。
3. 織部丸
織部丸
織部丸石垣
主郭部の北方約200メートルの尾根上には、板崎氏の時代に重臣浮田織部が普請を行ったと伝えられる織部丸があります。
主郭部東門の防御支援のための出丸のようです。吉見氏時代ここには砦があり周囲には中世の堀切も残っています。
登城時は修復工事中で立入禁止となっていましたが、かつては北東隅に櫓が一つ建てられていたようです。
4. 東門跡と三段櫓跡周辺
帯曲輪石垣その一
帯曲輪石垣その二
東門跡その一
東門跡その二
二の丸石垣
東門内枡形跡と三段櫓跡
三の丸から東門跡を見下ろす
東門跡に残る瓦片
東門は主郭部の大手門にあたり、津和野城で最も堅固で見ごたえのある一二三段状の石垣を見ることができます。
奥には東門の内枡形を見張るように、斜面を巧みに利用した三段櫓がありました。
残念ながら内枡形は草が生え放題でかなり荒れており立入禁止となっています。
そのため東門の奥には仮設の階段を通り、東門を見下ろしながら進みます。
昼食で入ったお寿司屋さんに伺った話では、津和野城整備のためにかなりの額を寄付した方が居るそうで、今後整備が加速するかもしれません。
5. 西三の丸
西三の丸
海老櫓跡
西三の丸に残る赤瓦片
西三の丸から見た天守台
三の丸は本丸の西側から南側を囲むように広がる曲輪で、尾根の先端に位置する西側と南側は広くなっています。
ここでは西側尾根先端の三の丸を西三の丸としています。
西三の丸は東門を見下ろす位置にあり、馬をつなぎとめておくための馬立、台所平櫓、先端には海老櫓がありました。
海老櫓跡には礎石らしきものも確認できました。
礎石を探しつつ地面を観察していると特徴的な赤い丸瓦が残っていました。
この赤瓦は石見地方の特産品で、凍害に強く寒い地方で重宝されていました。津和野の街も赤瓦の家並みが続いています。
これらのことから幕末時の津和野城は赤瓦葺きだったとも考えられています。
6. 西門櫓跡と天守台周辺
西門櫓跡その一
西門櫓跡その二
天守台下三の丸
天守台
西門は三の丸に二つ設けられた門のうちの一つで、もう一つの南門とともに後述する中荒城方面へ続く登城道に接続していました。
天守台には貞享3年(1686)の落雷により焼失するまで、三重の天守が建てられていました。
その後天守は再建されず外見は不明ですが、古絵図によると津和野城主各部の建物はすべて下見板張となっており、おそらく天守も下見板張だったのではないでしょうか。
階段の位置や天守台の輪郭が古絵図と異なるため、後世になんらかの改変が行われているようです。
面白いのは城内最高所に位置していないことです。隣接する本丸の下、城内では本丸、人質曲輪に続く三番目の高さに位置しています。
このように天守台が城内最高所に位置しない例は全国でも珍しいです。
7. 本丸(三十間台)周辺
本丸
本丸から見た天守台と西三の丸
本丸から見た太鼓丸
鉄門櫓跡
井戸跡か
本丸から見た帯曲輪
土塀支柱の控え石か
本丸から見た人質曲輪と南三の丸
本丸からの眺望
津和野城の最高所に位置する本丸は三十間台とも呼ばれています。なにが三十間かというと、おそらくこの細長い曲輪の長さであろうと思われます。
Googleマップでこの曲輪の長さを測るとおよそ58メートル、一間は約1.8メートルのため30間では54メートルとなりほぼ一致します。
ただ裏付けは取れていないので本当の由来は不明です
慶長年間(〜1615)に坂崎直盛が近世城郭に整備した際は本丸にも櫓や御殿が建てられましたが、貞享3年(1686)の落雷による火災で天守、本丸、二の丸が焼失しその後は土塀が巡るのみとなりました。
現在は土塀支柱の控え石らしきものや、井戸跡らしきもが確認できます。
本丸北の一段下はに太鼓丸が続き、かつては本丸ととの間に鉄門櫓があり、これは本丸を守る最後の門でした。現在でも石段やほぼ垂直に立ち上がる周囲の石垣が残っています。
本丸南面からは人質曲輪と南三の丸、さらにその先に石見国と長門国の国境である野坂峠を見ることができ、この風景は
竹田城の天守台からの眺めを彷彿とさせます。
8. 人質曲輪と南三の丸
人質曲輪の高石垣
南三の丸から見た人質曲輪と本丸
南三の丸
南門櫓跡
本丸の南の一段下に位置する人質曲輪には石段がなく、かつて建てられていた人質櫓内部でしか行き来ができなかったようです。
この人質曲輪の石垣は津和野城有数の高石垣で約10メートルの高さがあります。
人質曲輪の一段下には南三の丸が位置しており、南三の丸から見る人質曲輪と本丸の石垣は津和野城を代表する風景となってます。
南三の丸の南端には南門櫓跡があり、ここから続く登城道は中荒城跡に続いています。
9. 中荒城跡周辺
堀切
中荒城跡案内板
中荒城跡その一
中荒城跡その二
中荒城は中世津和野城を構成していた砦の一つで、南三の丸の南門櫓跡から中国自然歩道を20分ほど歩いたあたりに位置しています。
6段の曲輪とそれらを取り巻く18本の放射状の竪堀が特徴です。
古文書によれば吉見頼行が最初に築城を始めたのが見晴らしのきくこの中荒城のあたりだったようで、津和野城のルーツとも言える場所です。
とはいえ流石に数百年のときを経て木々に覆われ曲輪の輪郭は曖昧になっています。かろうじて人口の平場や段差らしきもの、なんらかの石組み跡を確認できました。
中国自然歩道途中の堀切のほうが保存状態は良いです。
当初はここまで足を伸ばす気はなかったのですが、時間に余裕があったため思い切って訪れましたが、想像以上に山の中でした。
道がわかりにくいところもあり木々に結ばれた紐を頼りに進むような場所もありました。
少なくとも夏場はいろいろな意味で避けたほうが無難です。
城の地図
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