KemaAkeの全国城めぐり
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延岡城
のべおかじょう
別名 亀井城、縣(あがた)城 千人殺しの石垣
形態 平山城
築城年と築城者 慶長8年(1603)高橋元種
主な城主 高橋氏、有馬氏、内藤氏
所在地(旧国名) 宮崎県延岡市東本小路(日向)
交通 JR日豊本線 延岡駅
↓徒歩(約25分)
北櫓跡
概要
延岡城は五ヶ瀬川と大瀬川に挟まれた標高約53メートルの丘陵に築かれた平山城で、元々は縣城と呼ばれていた。城の北と南を流れる二つの河川を天然の外堀とした縄張りで、大きく本城地区と西の丸地区の二つに分かれている。本城地区の規模は大きなものではないものの、要所に石垣が設けられ特に「千人殺し」と呼ばれる高さ約19メートルの高石垣が有名。

-----------年表------------
慶長6年(1601)高橋元種が築城を開始
慶長8年(1603)竣工
慶長18年(1613)高橋元種が改易される
明暦1年(1655)有馬康純による改修が完了し二階櫓・三階櫓が建てられる
明暦2年(1656)地名が延岡に改められる
明治4年(1871)廃藩置県により延岡藩が廃止
明治10年(1877)西南戦争で旧藩士が薩摩軍に参加、政府軍により延岡城陥落
遺構 普請:曲輪、石垣
作事:現存せず
天守:現存せず
案内図など 現地案内図(3000x1600)
登城日 2024年11月3日
アクセス
宮崎県北部の大分県との県境に位置する延岡市へはJR日豊本線で大分あるいは宮崎からのアクセスとなります。大分駅からはおおむね1時間に1本の特急が運行されていますが普通電車は少なく、宮崎駅からはおおむね1時間に1〜2本の普通電車が運行されていますが特急は少ないです。大分と宮崎のほぼ真ん中にある延岡ですが、鉄道でのアクセスは大分駅からのほうが便利という印象です。
延岡駅から延岡城までは、市内循環バスが1時間に1本ほど運行されていますが、延岡市街を散歩しながら徒歩25分ほどかけてのんびりお城に向かのもよいかと思います。
感想
延岡城は明治維新後に城内の建造物や堀の多くが失われてしまいましたが、それでも本丸や二の丸に残された石垣は石垣先進地域の西日本らしい見事なものです。中でも「千人殺し」と呼ばれる石垣は日本有数の高石垣で、この規模の城にこんな立派な石垣があることに驚かされました。石門跡などの珍しい遺構も興味深いです。城山公園として整備された城跡は、観光地としてあまりメジャーではないためかのんびりとした雰囲気で、市民に寄り添った城跡といった印象でした。
登城記
写真をクリックすると画像ファイルが表示できます。
1. 北櫓跡
延岡駅から最も近い延岡城の遺構は北城山街区公園の奥にある北櫓跡になります。北櫓跡は本城地区の北側内堀(現在は市街化により消失)に突き出すように築かれた櫓台ですが、古絵図には建物は描かれていません。石垣は野面積の乱積みで、隅角部は算木積みにはなっていますが隅石は短辺と長辺の差があまりなく、隅石の尻が平石より陥没する"痩せ石垣"となっています。算木積みの技法が完成するのは慶長10年(1605)頃でありここではそれ以前の築城時の様相を見ることができます。
北櫓跡
北櫓跡
撮影場所1 北櫓跡
北櫓跡
2. 北大手門
北大手門は延岡城本城地区の大手門にあたり、古絵図では桝形御門と記されています。現在の建物は発掘調査の結果をもとに平成5年(1993)に復元されたもので、非常に大きな薬医門となっています。北大手門の左側(東)の石垣は打込接の乱積みで隅角部は算木積みとなっています。隅石は短辺と長辺の比率が1対2ほどで、北櫓跡で見られた"痩せ石垣"にもなっておらず、より新しい時期の石垣となっています。また、この石面には400個以上の刻印が残っており、これらは元和6年(1620)から行われた徳川大阪城天下普請の有馬家普請丁場でみられる刻印に類似しています。このことからこの石垣は慶長19年(1619)に有馬直純が延岡に入城したすぐ後に改造したものと推測されています。
撮影場所2 北大手門
北大手門
外側、正面から撮影。
北大手門東側石垣
北大手門東側石垣
北大手門東側石垣に残る刻印
北大手門東側石垣に残る刻印
北大手門西側石垣
北大手門西側石垣
3. 千人殺しの石垣
北大手門を潜った正面には通称「千人殺しの石垣」と呼ばれる本丸北面の石垣があります。由来は一番下の根石を外すと石垣全体が一度に崩れ「千人の敵兵を殲滅することができる」からということですが、石垣の構造を考えれば根石を外すことは容易ではなく、そもそも石垣が崩れては元も子もないためあくまでも伝説なのでしょう。
高さは約19メートルで九州では熊本城宇土櫓台、小倉城天守台に次ぐ高さを誇り、宮崎県では唯一の高石垣です。野面積の乱積みで、上部には強い反りがあり、隅角部は算木積みとなっています。隅石は短編と長辺の比率が1対1.5〜2ほどで、"痩せ石垣"にはなっていません。このことから北櫓跡の石垣よりは新しく、西大手門東側石垣よりは古い時期の石垣と考えられます。
面白いのは隅角部の最下部で、急角度で立ち上がった石垣が4段目から一般的な角度になります。このような石垣は他に見たことがありません。また、隅角部の根石はコンクリートになっており、これは昭和10年(1935)の昭和天皇行幸の際に補強されたものです。「千人殺しの石垣」の名前からこの特徴的な部分に秘密があるかのような造りとなっています。
撮影場所3 千人殺しの石垣
千人殺しの石垣
千人殺しの石垣隅門部下部
千人殺しの石垣隅門部下部
最下部は石ではなくコンクリート塊となっている。
千人殺しの石垣
千人殺しの石垣
二の丸から撮影。
千人殺しの石垣
千人殺しの石垣
二階門跡への通路から撮影。
4. 二階門跡
千人殺しの石垣西側の坂道を登ると登城路は二度左に折れ曲がり180度向きを変えます。その先には本丸の大手門に当たる二階門跡があります。梁間3間(約6m)、桁行8間(約17m)の規模で、古絵図によると渡櫓門だったようで、城内では三階櫓に次ぐ規模の建物でした。平成10年(1998)の発掘調査で柱の礎石が検出され、現在は表面表示がされています。両側の石垣は打込接の乱積みとなっており、渡櫓門に接していたであろう部分は切込接で粗い鑿(のみ)打ち化粧も施され、大手門にふさわしい丁寧な造りとなっています。
二階門跡
二階門跡
撮影場所4 二階門跡
二階門跡
外側、正面から撮影。
二階門跡石垣の隅角部
二階門跡石垣の隅角部
隅角部には粗い鑿(のみ)打ち化粧が確認できる。
二階門跡
二階門跡
内側、裏面から撮影。
5. 天守台
城内最高所のここは慶長年間の古絵図には望楼型の三重天守が描かれ「天守台」と記されていますが、時代が下った有馬氏時代の古絵図には天守は描かれていません。発掘調査では天守の痕跡は確認できなかったため、ここに天守があったかははっきりとしません。また不整形で広さもあるため天守台というよりは天守曲輪といったほうがふさわしいかと思います。現在の入口は当時と異なっており、少し手前に柵で囲まれた当時の虎口と石垣を見ることができます。
天守台には明治初年頃の絵図には太鼓櫓が描かれていますがこれは西南戦争で消失し、替わりに明治11年(1878)に現在の鐘撞堂が建てられました。この鐘は現在も鐘守によって毎日打たれており、城下に時を知らせています。混乱を招くため鐘を打たないようにとの注意書きが印象的でした。
撮影場所5 天守台
天守台
手前の柵内が当時の天守台虎口。
鐘撞堂
鐘撞堂
天守台からの眺め
天守台からの眺め
中央の川は大瀬川、街の向こうに日向灘を望む。
撮影場所6 天守台虎口
天守台虎口
当時の石垣が残る。
6. 吹上坂・三階櫓跡
吹上坂は三の丸から本丸へと続くつづら折れの通路で、有馬氏時代の古絵図に描かれており、以降の時代の古絵図でも確認することができます。吹上坂の真上には延岡城の実質的な天守とされた三階櫓があり、三階櫓の岩盤掘削面と石垣面とをうまく組み合わせて吹上坂の壁面を構成しています。石垣は打込接の布積みで、築石の表面には簾(すだれ)状の化粧が施されており見栄えを重視していたようです。
三階櫓は一階梁間5間、桁行6間、高さ7間5尺9寸の規模で、天守台下の城下町からよく見える本丸東側に位置し、承応2年(1653)から明暦1年(1655)にかけて行われた大改修で建てられました。制作年は不明ですが20分の1の縮尺の雛形も残されています。
三階櫓跡は私が登城したときは天守台の鐘撞堂付近の斜面が崩れているため立入禁止となっていました。さらに、三階櫓跡の石垣は木々に覆われ、日陰になっていたことから細部を確認することはできませんでした。
撮影場所7 吹上坂石垣
吹上坂石垣
左側の石垣上が三階櫓跡。
吹上坂石垣の築石
吹上坂石垣の築石
わずかに化粧の跡が確認できる。
三階櫓跡
三階櫓跡
三階櫓跡は立ち入り禁止となっていたため吹上坂から撮影。
三階櫓跡
三階櫓跡
三階櫓跡は立ち入り禁止となっていたため吹上坂から撮影。
7. 石御門跡
石御門は城下から三の丸へ続く通路を守る延岡城の搦手口で、岩盤を削った切り通しに造られています。石垣も用いられていますが、両側に岩盤が露出しているためこの名称が付けられたようです。古絵図には単層の門が描かれ、石御門の南側真上には三階櫓、北側には白漆喰塀に囲まれた曲輪が描かれており防御を重視していたことがうかがえます。令和元年(2019)の発掘調査では、礎石や暗渠水溝、岩盤を削り構築した階段が検出されました。現在は新たな通路が設けられ門外の本来の通路は未整備状態で立入禁止となっています。
撮影場所8 石御門跡
石御門跡
内側、裏面から撮影。外側に出ることはできない。
石御門跡
石御門跡
露出した岩肌と石垣。
8. その他
撮影場所9 延岡城遠景
延岡城遠景
手前の川は五ヶ瀬川。
延岡駅
延岡駅
TSUTAYAやスターバックスが入ったモダンな駅舎。
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