早川口二重外張発掘調査見学会

早川口二重外張は早川に面した(とは言っても早川までは結構な距離があります)小田原城惣構の虎口で、熱海方面に向かう街道(熱海道)に対応した城門でした。その名前の示すとおり、土塁と堀を二重に配した構造で、低地部で確認できる数少ない小田原城惣構の遺構です。
これまで小田原城惣構の低地部の遺構は、本格的な発掘調査が行われていませんでした。今回の早川口二重外張の発掘調査がその最初の例になるそうです。
現地発掘調査説明会が2017年12月2日(土)に開催されたので、その様子をお知らせします。

早川口二重外張全景

早川口二重外張全景その一
早川口二重外張全景その一
早川口二重外張全景その二
早川口二重外張全景その二

早川口二重外張はその名の示すとおり、土塁が二重になっています。この当たりは明治時代遺構に屋敷の庭園としてかなりの改変を受けていますが、外側の土塁と内側の土塁に挟まれた谷のような地形を確認することが出来ます。東側(内側)は標高10メートル程度、南側は標高8メートル以下で、早川に近づくにつれて標高が低くなっていきます。また土塁に沿って西から南へ小田原用水の分流が今でも流れています。

5トレンチ・7トレンチ

5トレンチ
5トレンチ
7トレンチ
7トレンチ

5トレンチでは現況地形が明治以降に大きく改変されているとがわかりました。特に興味深かったのは5トレンチで、ここでは近代に掘られた穴に大量の海砂が詰まっていました。これは1902年9月28日に発生した小田原大海嘯で陸に上がった海砂を捨てた跡ではないかとのことでした。こんなところに近代小田原の歴史の一旦が埋もれているとは驚きです。
7トレンチを始めとした内側土塁の側からは、江戸時代に水田として利用されていたと考えられる土の堆積が確認できました。水分を多く含んだ状態が続くと、土の中の酸素が減り、土が青緑色になるようです。街中で発掘調査をして、このような青緑色の地層が出た場合は大体が水田だとか。またひとつ勉強になりました。

6トレンチ

6トレンチその一
6トレンチその一
5・6トレンチ全景
5・6トレンチ全景
6トレンチその二
6トレンチその二

今回の見学会で最も見ごたえがあったのが、外側の土塁を試掘した6トレンチになります。このあたりは今でも土塁らしさをとどめており、その土塁の断面を確認することが出来ました。
驚いたことにここでは「土塁」と言いながら、その芯から大量の石材が使用されている状況が確認できました。石材と土で土塁の中心を造り、それを土で覆って土塁としているイメージです。小田原市史には海岸線(浜町)の惣構土塁において「石がまとまって出土したといわれている」という記述があり、今回確認できた遺構の状況と合致しており、低地部惣構土塁の構造上の特徴である可能性が高まりました。
低地部の土塁としては、惣構東側の蓮上院周辺にも残されていますが、もしかしたら蓮上院の土塁も掘り返してみると石が大量に出てくるかもしれません。あるいは、早川口は早川が近く川石の入手が容易なため、とりあえず資材として使ったという可能性もありますが。
しかし、土塁は芯まで土で埋まっているものというのが私の常識であったため、土の中から石が出てきたことには驚きました。

8トレンチ

8トレンチ
8トレンチ

8トレンチでは外側土塁の法面、二重の土塁の間隔が狭くなっている部分から砂利敷きが確認されました。砂利敷きについては、虎口内の通路ではないかと考えられますが、今後のさらなる調査が必要なようです。

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