kemaake のすべての投稿

小田原城の桜【2019】4月6日、4月7日編

今年も桜の季節がやってきました。
というわけで、毎年恒例の小田原城早朝桜見物に行ってきました。今年は桜の満開と土休日、そして晴天が重なるという幸運に恵まれました。
今年は例年に比べ開花がだいぶ遅く、開花後も突然寒くなり満開まで少々時間がかかったように感じます。そのためか例年ならほとんど葉桜になっている4月9日時点でもまだ花が残っているようでした。
今年は夜桜ライトアップもパワーアップしており、本丸では様々な色のLEDでライトアップされた幻想的な姿を見ることができました。私の撮影技術は低いのでこれまで夜間撮影は避けていたのですが、素直に夜景モードで撮ればそれなりに撮れることがわかったので、これからは夜間撮影にもどんどん挑戦しようと思っています。
平成最後、時代の節目を記念するように咲き誇る桜は感慨深いものでした。

小田原城の桜(4月6日)#1
小田原城の桜(4月6日)#1
小田原城の桜(4月6日)#2
小田原城の桜(4月6日)#2
小田原城の桜(4月6日)#3
小田原城の桜(4月6日)#3
小田原城の桜(4月6日)#4
小田原城の桜(4月6日)#4
小田原城の桜(4月6日)#5
小田原城の桜(4月6日)#5
小田原城の桜(4月6日)#6
小田原城の桜(4月6日)#6
小田原城の桜(4月6日)#7
小田原城の桜(4月6日)#7
小田原城の桜(4月6日)#8
小田原城の桜(4月6日)#8
小田原城の桜(4月6日)#9
小田原城の桜(4月6日)#9
小田原城の桜(4月6日)#10
小田原城の桜(4月6日)#10
小田原城の桜(4月6日)#11
小田原城の桜(4月6日)#11
小田原城の桜(4月6日)#12
小田原城の桜(4月6日)#12
小田原城の桜(4月6日)#13
小田原城の桜(4月6日)#13
小田原城の桜(4月6日)#14
小田原城の桜(4月6日)#14
小田原城の桜(4月6日)#15
小田原城の桜(4月6日)#15
小田原城の桜ライトアップ(4月7日)#1
小田原城の桜ライトアップ(4月7日)#1
小田原城の桜ライトアップ(4月7日)#2
小田原城の桜ライトアップ(4月7日)#2
小田原城の桜ライトアップ(4月7日)#3
小田原城の桜ライトアップ(4月7日)#3
小田原城の桜ライトアップ(4月7日)#4
小田原城の桜ライトアップ(4月7日)#4

三浦正幸先生講演会「水戸城の昔日の姿 ~天守と城門と御殿の魅力」

さる3/9(土)、水戸市立博物館特別展「水戸城遥かなり」の関連行事として、広島大学名誉教授・三浦正幸先生の講演会が水戸市みと文化交流プラザで行われました。
三浦先生は日本古建築の専門家で日本の城の作事研究の大家です。
私の愛読書「城のつくり方図典」の著者であり憧れの大先生です。先着200名ということで、早々に申し込みを行い喜び勇んで聴講してきました。
備忘録も兼ねてその内容を簡単にまとめます。

テーマは「水戸城の昔日の姿 ~天守と城門と御殿の魅力」ということで、主に水戸城天守についての内容でした。

1. 水戸城全体の特徴
1.1 土造りの城で非常に広大
台地上にこれだけの平坦地を持つ城は日本でも珍しい。

2. 水戸城天守
2.1 公式には水戸城御三階
武家諸法度発布時に天守がなかった城は天守を持つことが許されなかった。しかし水戸城御三階は三重五階であり、その規模は伊予松山城天守や宇和島城天守に匹敵する。また、通常の櫓は城内側に窓を設けないが水戸城御三階は城内側にも窓を設けており、明らかに天守の造りである。事実水戸藩内では御三階ではなく天守と呼ぶように藩主から指示されていた。

2.2 基礎は石造りの布基礎
これは徳川家光築の寛永度江戸城天守と同じ。

2.3 一重目半分までは外壁が海鼠壁
海鼠壁は風雨避けのためであるが高価。(石垣の代わりとして海鼠壁を用いたというのがこれまでの定説)

2.4 一重目内部は三階建て
一重目内部は他の城に見られない三階建てとなっている。二階建ては小田原城などに見られるが三階建は水戸城天守のみ。

2.5 二階内部は中央に柱が一本のみ
二階内部は中央に牛請柱(うしこいばしら)と呼ばれる太い柱が立つのみで、巨大な牛梁(うしばり)を支えていた。日本の古建築でこのような広大な空間は例がない。日本随一の奇構。

2.6 三階は御殿造り
三階の窓はすべて連子窓で非常に明るい。身舎には長押を設け入側にも天井を貼る。外壁も真壁造りで格式が高い。類例がなく明らかに御殿を意識した造り。

2.7 二重目、三重目は大壁造り
大壁造りは防火・防弾性に優れる。他の城では格式を高めるために最上重は真壁造りとする例(姫路城など)はあるが水戸城ではこれが逆になっている。外部から見ることができる二重目、三重目は防御性を重視し、外部から見えない一重目は格式を高めている。合理的な造り。

2.8 四階、五階に外開きの土扉を設ける
外開きの土扉は土蔵の窓に使用されるのが一般的。類例がない。

2.9 屋根は銅瓦葺
銅瓦は高価。これも江戸城と同じ。

こられの特徴や格式の高さから水戸城御三階は櫓ではなく明らかに天守と呼ぶべきものである。また2.2、2.3、2.6、2.9の特徴から非常に豪華な造りであり、2.4、2.5、2.7、2.8の特徴から他城には見られない独特な技巧を凝らした建物であったことがわかる。
もし太平洋戦争で焼失していなければ日本古建築において非常に重要な建物であったことは確実。

3. 水戸城大手門

3.1 水戸城二の丸の大手を守る
慶長六年(1601)に佐竹氏が建造した大型の楼門で、平成31年9月の完成を目指して現在復元中。

3.2 非常に古式で格式重視の造り
二階に白木の長押・柱を見せるのは古式で格式が高い。二階の格子窓の窓台が低いのは関ヶ原の戦い以前の形式。類例は彦根城太鼓門や福山城伏見櫓。鏡柱は一木造りで極めて太く豪華。さらに大手門に続く大手橋には擬宝珠が設けられこれも格式が高い。江戸時代にはなかなか擬宝珠の使用は許されなかった。しかし門扉は横桟に縦板張りで防御力は低い。

4. 水戸城薬医門

4.1 水戸城に現存する唯一の建造物
現在は本丸に位置する県立水戸第一高校の正門として移築されている。

4.2 非常に古式
極めて太い鏡柱、内冠木が角材、垂木に強い反りこれらは16世紀末から17世紀前記の形式である。ただし幕末にほとんどの部材を取り替えているようで建造当時の部材はごく一部か。

4.3 城門には見えない造り
門扉の上を開放しており、板蟇股に装飾が施されている。城門であればこのような装飾は施さない。三浦先生いわく城門と伝えられていなければ間違いなく寺院用の門だと判定するとのこと。

水戸城大手門と薬医門の造りから佐竹家から水戸城を引き継いだ水戸徳川家の性格が伺える。佐竹氏の建物を受け継ぎ、古色=高格式であることを利用している。防御性よりも徳川家としての格式を重んじたか。
三浦先生いわくこの門は屋根が大きく木材も古いため、全体的に黒く写り、日本で一番写真を撮りにくい城門だそうです。私が撮った以下の写真もかなり露出を上げています。

水戸城薬医門その一
水戸城薬医門その一
水戸城薬医門その二
水戸城薬医門その二
水戸城薬医門その三
水戸城薬医門その三

最後に余談ですが「城のつくり方図典」に三浦先生のサインを頂きたく、係の方にお願いをしたところ公演終了後に控室に案内していただき、光栄にも三浦先生と直接お話することができました。10分ほどお話をさせていただき公演中の疑問を解消できました。三浦先生、本当にありがとうございました。

お城EXPO検定2018 解答

昨年末に行われたお城EXPO検定2018の解答が公式サイトに掲載されました。問題ページに正解を白文字で掲載しました。城郭検定過去問として役立てていただければ幸いです。

お城EXPO検定2018(日本城郭検定特別版)

私の結果は79点でシルバー認定でした。81点以上でゴールド認定ということなのでちょっと悔しいですが、まずは満足です。また折を見て1級を受けようと思います。定期的に受けないとどんどん忘れていってしまいますので…

小田原城から新島が見えた?

摩利支天像を祀る部屋の見学に行った1月27日は冬晴れで非常に天気が良く雲ひとつ無い快晴でした。小田原城天守最上階からは江ノ島や伊豆大島、さらに利島まで見えました。小田原から利島までの直線距離は約80キロメートル、伊豆大島は頻繁に見ることができるのですが利島まで見えるのは天気が良いときだけです。数年前に小田原からはじめて利島を見たときはかなり驚きました。
今日は利島が見えるぞ~と思っていると、その特徴的な三角形の右側にもうひとつ島影を発見。最初は初島かと思いましたがそれにしては遠すぎる気がします。帰ってGoogleマップで確認した所、新島の可能性があります。小田原から新島までの距離は約100キロメートルあります。確信はありませんが小田原市国府津から新島、神津島が見えたとの情報を見つけました。そう考えると小田原城から新島が見えてもおかしくはありません。

天守最上階から見た江ノ島(2019年1月27日)
天守最上階から見た江ノ島(2019年1月27日)
天守最上階からみた相模湾(2019年1月27日)
天守最上階からみた相模湾(2019年1月27日)
天守最上階から見た利島と新島?(2019年1月27日)
天守最上階から見た利島と新島?(2019年1月27日)
天守最上階から見た小田原駅周辺(2019年1月27日)
天守最上階から見た小田原駅周辺(2019年1月27日)

小田原城天守の摩利支天像

馬屋曲輪から見た銅門、常盤木門、天守(2019年1月27日)
馬屋曲輪から見た銅門、常盤木門、天守(2019年1月27日)
天守(2019年1月27日)
天守(2019年1月27日)

小田原城天守には江戸時代から猪に乗った摩利支天像が祀られています。摩利支天像を祀った部屋には普段は入ることができませんが、今年は亥年ということで1月から2月初頭にかけて特別にこの部屋に入ることができ、正面間近から摩利支天像を見ることができました。摩利支天像を祀る部屋の謂われは以下を御覧ください。
小田原城天守模型等調査報告会

摩利支天は古代インドの陽炎を神格化した女神・マリーチのことです。陽炎のように身を隠せ、他人から傷つけられることなくあらゆる対処ができるという霊験のため、日本では武芸の神となり武士に熱く信仰されました。小田原城の摩利支天像は高さ40センチほどでしょうか、あまり大きくはありません。平成の大改修前は天守型厨子の中に収められ、ガラスケースの中に入って最上階のおみやげコーナーの前にありました。数年前の小田原城天守平成の大改修で摩利支天像を祀っていた天守最上階の部屋が復元され、摩利支天像が収められました。江戸時代の様子が再現されたわけです。

天守に神仏を祀ることは珍しくありませんが小田原城のように薬師如来、弁財天、地蔵菩薩、摩利支天、如意輪観音、大日如来、阿弥陀如来と七尊もの神仏を祀る例は珍しいと思います。祀られている神仏にも脈絡がありません。これら七尊は廃城時の小田原城天守取り壊し後、天守近くの城山にある永久寺に移され、昭和の天守復興時に天守型厨子とともに摩利支天像のみ天守に里帰りしました。古い記録には小田原城天守八尊という言葉が出てくるのですが現存するのは七尊ということで、あと一尊がなんだったのか気になります。

摩利支天像を祀る部屋
摩利支天像を祀る部屋
摩利支天像その一
摩利支天像その一
摩利支天像その二
摩利支天像その二
摩利支天が乗る猪
摩利支天が乗る猪
摩利支天像とほか六尊の配置
摩利支天像とほか六尊の配置
天守型厨子
天守型厨子

お城EXPO2018 厳選プログラムレポートその二

お城EXPO2018厳選プログラムのご紹介、その二です。

12月24日(月)15:30~16:30
「名古屋城の御殿・天守復元の秘密」

登壇者:
三浦正幸先生

現在の名古屋城天守の問題点は以下の通り。

・鉄筋コンクリート耐用年数問題
現在の天守は1959年(昭和34年)築の鉄骨鉄筋コンクリート構造。建築当時コンクリートは人工の石という認識で、半永久的に持つものと考えられていた。
しかしその後鉄筋コンクリートは劣化するものであり、耐用年数は50年から80年ということがわかった。(なお、古代ローマのコンクリート建築には鉄筋が一切入っていないため今も健在)
名古屋城天守は築60年ほどがたち老朽化が著しい。
また、日本各地の鉄筋コンクリート製天守はこのころ造られたものが多い。今後これらをどうしていくかが大きな課題となる。

・耐震強度問題
最近の耐震診断では名古屋城天守の耐震強度(Is値)は0.1程度と診断された。2016年の熊本地震で大破した熊本城天守はIs値は0.3程度であった。
仮に南海トラフ地震が発生した場合、現在の名古屋城天守は確実に大破ないし倒壊する。そのため現在名古屋城天守には入場できないよう措置がとられている。

・石垣への荷重問題
現在の名古屋城天守は石垣に荷重をかけないようケーソン(杭)を打ち込みその上に建てられており、天守台には一切乗っていない。しかし、石垣にはある程度の荷重がかかっていないと地震発生時に崩れてしまう。
熊本地震では石垣に荷重をかけないよう復元されていた櫓の櫓台石垣が崩れている。飯田丸五階櫓など端の石垣が崩れなかった櫓もあるが、これは端部分のみ櫓と接し荷重がかかっていたためである。

ではなぜ「木造」での復元を行うのか。

建物の強度自体は鉄筋コンクリート製のほうが木造の何倍も強い。しかし地震で建物を壊そうとする力は建物の重さに比例しており、鉄筋コンクリート製は木造の4倍から5倍の重さがある。
→地震に対して弱い。
また、石垣への荷重問題についても石垣に適切な加重をかけることで解決できる。
→そもそも木造天守が乗っていたのだから問題ない。現に濃尾地震で名古屋城天守は無事だった。

————————————————————————————-
御殿の秘密

御殿全体が木造復元されており、非常に意味のある復元。

徳川家康時代の御殿建築を忠実に再現。
二条城二の丸御殿は徳川家康以来のものだが、改築が繰り返されており創建当時の姿ではない。

二条城は長押の上に障壁画がある。←徳川家光時代以降の様式
名古屋城は長押の上は白壁のまま。←徳川家康時代の様式

御殿としての様々な部屋も忠実に復元している。
例:
・家光用の食事を置くための「上座部屋」がある。
・蒸し風呂としての湯殿がある。鎌倉時代以降蒸し風呂が標準。湯船につかるのは新式。
・複数の部屋を接続したL字状の広間がある。欄間で区切られた部屋はそれらの部屋をまとめて使用することを意味している。また、欄間に細かい彫刻がないものについては、上段の折り上げ天井を下段から見えるようにするためである。

お城EXPO2018 厳選プログラムレポートその一

昨年末に開催されたお城EXPO2018ですが、お城会の重鎮の方々を講師とした厳選プログラムが今年もありました。今年はいろいろと都合があり全てを聴講することはできませんでしたが、自分の備忘録もかねていくつかその内容をご紹介します。

12月23日(日)16:00~17:30
「信長の城 ~岐阜から安土へ~」

登壇者:
小和田哲男先生
中井均先生
加藤理文先生
内堀信雄先生

・信長の居城変遷
勝幡城(?)→那古屋城→清州城→小牧山城→岐阜城→安土城。岐阜城は信長により大規模な改築が行われている。小牧山城、安土城はまっさらな場所への新規築城。

・小牧山城の特徴
山頂部に信長のプライベートエリアがあった。
最近の調査で本丸の周りに巨石による石垣が見つかった。ただし高さは低い。

・岐阜城の特徴
山頂部に信長のプライベートエリアがあった。
宣教師ルイス・フロイスによると山頂部は「何人も信長による許可がなければ入れない」とのこと。
山下部には大規模な庭園があり、迎賓館的な御殿があったようで、これはパブリックエリアとなる。
→山頂のプライベートエリア、山下のパブリックエリアからなる二元構造

・安土城の特徴
山頂部に信長のプライベートエリアがあった。
伝黒鉄門より内側が狭義の安土城。
山下にパブリックエリアがあった…はず。伝羽柴秀吉屋敷や伝前田利家屋敷あたりが信長の公邸だったのではないか。伝秀吉屋敷は上下二段構造となっており、当時の秀吉の織田家中での位置づけに対して立派すぎる。そもそも当時ナンバー2の明智光秀や柴田勝家の屋敷地が存在していないのがおかしい。
また、安土城から庭園は見つかっていないが、文献にも庭園のことが記されており、岐阜城であったものがなくなったとは考えられない。百々橋口からの途上ルートのどこかにあったのではないか。だが、現在安土城は入れないところが多く思うように調査ができない。
→山頂のプライベートエリア、山下のパブリックエリアからなる二元構造

・これら3つの城の共通点と相違点
共通点としては山上のプライベートエリア、山下のパブリックエリアの存在が挙げられる。

では相違点は?
石垣技術とその上の建物の発展。

→小牧山ではかなりの巨石を低く積む。並べたという方が適切か。当時の信長の経済力、技術力の限界。尾張一国レベル。

→岐阜城では巨石と混在して、山上部に石垣が積まれるようになる。山下には大規模な庭園。
岐阜在城時に足利義昭を報じて上洛。近江周辺の技術者を取り込む。京都の文化の取り込み。しかし山上の天守台に近くには巨石が残されており、信長独自の「巨石信仰」らしきものを踏襲している。

→安土城では石垣はさらに大規模なものになり、総石垣となる。また、岐阜城と比較すると建物の発展が著しい。巨大な建物を天端いっぱいに乗せるため石垣技術も発展せざるを得ない。しかし、あまりにもその差が大きい。
安土城以前に秀吉の長浜城、光秀の坂本城に天守があった記録がある。この二名が勝手に天守を建てることはありえず、信長による命令のはず。信長は技術者集団を二人に貸し出し、織田政権の城として長浜城、坂本城を築城した。この2つの城は安土城に至るプロトタイプであり、信長はここで様々なノウハウを蓄積したのではないか。
信長は用意周到であり、城づくりにおいてもそれは同じだった。

お城EXPO検定2018(日本城郭検定特別版)

先日、クリスマスの迫る横浜はみなとみらい21、パシフィコ横浜にて3回目となるお城EXPOが開催されました。その中で日本城郭検定の特別版が「お城EXPO検定2018」と題して実施されました。

私は2016年の第8回日本城郭検定でなんとか1級に合格しましたが、腕試しも兼ねて久々に城郭検定を受験してみました。

級が定められていない今回の特別版城郭検定、合格ラインも全くわかりません。出題内容は学研から出版されている日本100名城、続100名城公式ガイドブックを丸暗記していればかなり得点できると感じました。そういう私は全然覚えていないのですが…
さらにプラスでお城関係の時事ネタを押さえていればベストといった出題内容でした。お城ブームということもあり最近はお城の発掘や調査が盛んに行われ、新発見や新説発表などが相次いでいます。最新情報を把握することも城郭検定受験者の心得のようです。

早速ですが全問題を掲載します。合否発表は2019年2月ごろとのことなので、そのころに回答を掲載します。なお写真、画像が掲載されている問題は私が撮影した写真があれば、代わりにそれを掲載します。

001
虎口の前面に設けられた小規模の曲輪である「馬出」は「角馬出」と「丸馬出」に大別されるが、巨大な「角馬出」が復元されている城はどれか。
①諏訪原城
②田中城
上田城
④佐倉城
正解→④佐倉城

002
次のうち山城でない城はどれか。
①脇本城
②笠間城
③鮫ヶ尾城
富山城
正解→④富山城

003
現在天守の屋根は多くが瓦葺だが、弘前城天守の瓦の素材はどれか。
①鉛瓦
②石瓦
③銅瓦
④金箔瓦
正解→③銅瓦

004
写真の日本最古の木造模擬天守はどの城か。
(写真割愛)
伊賀上野城
②郡上八幡城
富山城
④岐阜城
正解→②郡上八幡城

005
毛利輝元が広島城を築城するにあたって手本にしたといわれている城はどれか。
安土城
大坂城
名護屋城
④聚楽第
正解→④聚楽第

006
「六段壁の見事な石垣が重厚な歴史を語る」と地元の観光マップで紹介している山城はどこか。
米子城
岩村城
③金田城
④黒井城
正解→②岩村城

007
斎藤道三の稲葉山城を織田信長が大改造し名前を代えた城はどれか。
小牧山城
②岐阜城
清州城
④安土城
正解→②岐阜城

008
金沢城に現存するこの二重の多門櫓は何というか。

①二十間長屋
②三十間長屋
③五十間長屋
④百間長屋
正解→②三十間長屋

009
米沢城に現在建つ上杉神社の主祭神はどれか。
①毘沙門天
②上杉謙信
③天照大御神
④火雷天神
正解→②上杉謙信

010
搦手の説明で正しいのはどれか。
①城の窪地
②城のつづら折り道
③武器の種類
④城の裏口
正解→④城の裏口

011
石田三成が、おおよそ2万3千の兵を率いて水攻めにした写真の城はどの城か。
(写真割愛)
①館林城
②忍城
③杉山城
④岩槻城
正解→②忍城

012
比高30メートルの丘陵部を2重の堀と土塁で囲んだ城で、室町時代は伊予守護所だった城はどれか。
今治城
大洲城
湯築城
丸亀城
正解→③湯築城

013
古代山城の中で「日本書紀」の「天智記」に名前が記載されている城を「朝鮮式山城」と言うが、記載された朝鮮式山城はいくつあるか。
①3城
②4城
③5城
④6城
正解→④6城

014
写真は平成5年に再建された三重の櫓である、夜桜の名所としても知られるこの櫓がある城はどれか。

①福知山城
高田城
③高島城
中津城
正解→②高田城

015
徳川家康が天正13年(1585)に築城、征夷大将軍の職を秀忠に譲り、家康が再び居を構えた天下普請の城はどこか。
①小田原城
②岡崎城
③江戸城
駿府城
正解→④駿府城

016
次の城と所在地の組み合わせで間違えているのはどれか。
①黒井城ー兵庫県
赤木城ー和歌山県
③村上城ー新潟県
④佐土原城ー宮崎県
正解→②赤木城ー和歌山県

017
復元された八角形の鼓楼がシンボルの「続日本紀」に記されている城はどこか。
①大野城
②鞠智城
③基肄城
④水城
正解→②鞠智城

018
大阪城、洲本城、伊賀上野城の共通点はどれか。
①RC制の模擬天守が建っている。
②藤堂高虎が縄張を行った。
③太平洋戦争以前に天守が復興された。
④28mを超える高石垣がある。
正解→③太平洋戦争以前に天守が復興された。

019
写真の巨石と石垣が組み合わされた特徴的な天守台はどの城の天守台か。

赤木城
②金田城
③宇陀松山城
苗木城
正解→④苗木城

020
寛永4年(1627年)に入封した加藤明利が近世城郭に大改修し、戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加わったため、新政府軍に攻められ落城した。その城はどれか。
①二本松城
②会津若松城
③長岡城
仙台城
正解→①二本松城

021
現存天守で一番新しい天守は次のうちどれか。
高知城
弘前城
備中松山城
松山城
正解→④松山城

022
天守または三階櫓が太平洋戦争で焼失していない城はどの城か。
①松前城
和歌山城
③水戸城
④福山城
正解→①松前城

023
脇坂安治が総石垣の城に改修し、現在写真の模擬天守が建つ城はどれか。
大洲城
②一宮城
赤穂城
④洲本城
正解→④洲本城

024
今回お城EXPO会場で特別展示されている、金箔瓦はどこの城から出土したものか。
駿府城
浜松城
③岐阜城
安土城
正解→①駿府城

025
問24の城で発掘された金箔瓦のうち軒丸瓦の多くは、瓦のどこに金箔が施されているか。
(画像割愛)
①A
②B
③C
④BとC
正解→①A

026
次のうち縄張が、中心に本丸を置き周囲を他の郭で囲い込む形式の輪郭式でない城はどれか。
①久留米城
②鶴ヶ岡城
③米沢城
④篠山城
正解→①久留米城

027
2018年8~9月の発掘調査で「葵の紋」の金箔瓦が出土した城はどれか。
①岡崎城
浜松城
高田城
④水戸城
正解→①岡崎城

028
写真の天守台は転用石が多く見られる事で知られ、北東角石には平城京の羅城門の礎石が転用されているとの謂われがある。この天守台はどの城のものか。

①福知山城
松阪城
大和郡山城
新宮城
正解→③大和郡山城

029
元和5年に紀州家の付家老久野家が城主となり、以後幕末まで続き、近くに村山龍平記念館があるのはどこか。
赤木城
松阪城
田丸城
新宮城
正解→③田丸城

030
近年の発掘調査で主郭の四方を石垣で囲んでいることなどから、信長が石垣使用するのは安土城からとの説を覆したのはどこか。
清洲城
小牧山城
③岐阜城
④那古屋城
正解→②小牧山城

031
文部科学省構内に、江戸城の虎ノ門周辺の石垣が保存展示されている。普請を担当した大名が確認できる工事区域の境がわかるが、それを何と言うか。
①丁場境
②普請境
③請負境
④区割境
正解→①丁場境

032
写真の天守台用の櫓は、往時には幕府をはばかって何と呼ばれたか。

①御三階櫓
②角櫓
③大櫓
④三重櫓
正解→③大櫓

033
会津若松城で本年3月に老朽のために、かけ替えられた廊下橋の説明で間違いはどれか。
①高欄は会津塗
②国産総檜造り
③擬宝珠は金色
④屋根が檜板葺き
正解→④屋根が檜板葺き

034
関東の山城で関ヶ原の合戦後に廃城になった本丸南側に高さ8mを超える高石垣を持つ城はどこか。
①唐沢山城
②武蔵松山城
③八王子城
④杉山城
正解→①唐沢山城

035
次の城のうち尼子十旗と呼ばれた城でないものはどれか。
①三刀屋城
②赤穴城
③白鹿城
④山吹城
正解→④山吹城

036
鎌倉幕府初期の有力御家人の居館であった菅谷館にある写真の銅像の人物は誰か。
(写真割愛)
①畠山和洋
②畠山重忠
③畠山満家
④畠山高国
正解→②畠山重忠

037
本丸を二の丸、三の丸が取り囲む輪郭式縄張りの城で、平成26年に坤櫓が復元されたのはどの城か。
①岡崎城
大和郡山城
駿府城
富山城
正解→③駿府城

038
鶴ヶ岡城、新府城、興国寺城、久留米城の4城の共通点として正しいものはどれか。
①縄張が梯郭式である。
②城地が平城である。
③幕末を迎える頃には廃城となっていた。
④現在城内に神社がある。
正解→④現在城内に神社がある。

039
写真の跳出がある石垣はどの城の石垣か。
(写真割愛)
五稜郭
②品川台場
③龍岡城
④人吉城
正解→④人吉城

040
歴代領主が制札を立てて名水を保護した「源智の井戸」が城下にある城はどれか。
岡山城
松本城
③浪岡城
高田城
正解→②松本城

041
椀に盛った飯のような山容だが、深い谷や峻険な断崖をもつ天然の要害にあり、御体塚曲輪がある城はどこか。
①芥川山城
②宇陀松山城
③飯盛城
④鎌刃城
正解→③飯盛城

042
世界文化遺産で、断崖に囲まれた丘陵上に位置し階段状に1~4の曲輪と東の曲輪を持つ沖縄屈指の広大さを持つのはどこか。
①首里城
②勝連城
③座喜味城
④中城城
正解→②勝連城

043
写真は松本城天守群になるが矢印が指す建物は何か。

①渡櫓
②辰巳付櫓
③乾小天守
④月見櫓
正解→②辰巳付櫓

044
大天守、中天守などが連なる巨大な天守台がのこり、40基以上あった櫓のうち、今も残るのは南の丸多聞櫓など数基の城はどれか。
仙台城
②福岡城
高取城
大分府内城
正解→②福岡城

045
城主一族が1562年の川原御所の乱で衰退したのち、津軽為信によって落城したのは次のどの城か。
①脇本城
②九戸城
③浪岡城
④志苔館
正解→③浪岡城

046
家老など上級武士の屋敷は城内に置かれ、長屋門と土塀で囲まれた造りになっていた。西郷家の巨大な長屋門が現存するのはどの城か。
①会津若松城
彦根城
③鹿児島城
④飫肥城
正解→②彦根城

047
城内の山里丸と西丸を結ぶ、復元された写真の廊下橋はどの城のものか。

大分府内城
福井城
和歌山城
高松城
正解→①大分府内城

048
802年に坂上田村麻呂が北上川の中流域に築いたとされ9世紀初め頃に多賀城から鎮守府を移された城はどれか。
①秋田城
②胆沢城
③徳丹城
④雄勝城
正解→②胆沢城

049
次のうち前田氏が城主となっていない城はどれか。
富山城
福井城
③高岡城
④増山城
正解→②福井城

050
写真の天守台は近世の三大山城にもあげられる城のものになる。この天守台がある城はどれか。

岩村城
備中松山城
③岐阜城
高取城
正解→④高取城

051
関東以北で江戸城以外に5重の天守を持っていた城は次のうちどこか。
①水戸城
仙台城
③沼田城
④宇都宮城
正解→②沼田城

052
武田勝頼が織田・徳川の連合軍に攻められ、落ち行く場所として真田氏が御殿を用意したとされる城はどこか。
①名胡桃城
上田城
③岩殿城
④岩櫃城
正解→④岩櫃城

053
姫路城では2019年2月から1カ月間、東小天守、乾小天守など5棟の国宝の公開が予定されている。これは姫路城の世界遺産登録何周年を記念してのものか。
①20週年
②25週年
③30週年
④35週年
正解→②25週年

054
写真の城は、1564年に松平家康が攻めた城になる。現在は戦国時代の建物が復元され、公園として整備されている。この城はどれか。
①逆井城
②荒砥城
③高根城
④足助城
正解→④足助城

055
「続日本紀」にその名が記されており、878年におこった元慶の乱で焼き討ちにあった城はどれか。
①多賀城
②志波城
③秋田城
④胆沢城
正解→③秋田城

056
今帰仁城の別名はどれか。
①南山城
②中山城
③北山城
④西山城
正解→③北山城

057
瓦に釉薬を塗って水分の浸透を防ぎ破損防止などの目的で赤瓦が用いられた城があった。次のうち、赤瓦が使われていなかった城はどの城か。
萩城
②松前城
③首里城
④会津若松城
正解→②松前城

058
島原天草の一揆を引き起こした責めにより、島原藩主松倉勝家はどのような処罰をうけたか。
①斬首
②切腹
③流罪
④減封
正解→①斬首

059
犬走りがある石垣を持つ写真の城はどの城か。
(写真割愛)
今治城
②津城
新宮城
④岸和田城
正解→④岸和田城

060
幕閣の要職にあった松平乗謨が、慶応3年に城主として竣工式を行った星型稜堡の様式城はどこか。
①福江城
五稜郭
③龍岡城
④四稜郭
正解→③龍岡城

061
元和の一国一城令後も小倉城の支城として存続したのち、藩として独立した城はどの城か。
①久留米城
中津城
唐津城
佐伯城
正解→②中津城

062
築城の名手・藤堂高虎が築城し、唐破風玄関など装飾性に富んだ現存天守がある城はどれか。
今治城
宇和島城
備中松山城
松阪城
正解→②宇和島城

063
写真は国史跡に指定されている藩校致道館である。この藩校はどの藩のものか。
(写真割愛)
①庄内藩
②米沢藩
③会津藩
④弘前藩
正解→①庄内藩

064
鎌倉街道をのぞむ丘陵の尾根上に造られた平山城で、縄張りが戦国期城郭の教科書ともいわれているのはどこか。
小机城
②杉山城
③唐沢山城
③赤塚城
正解→②杉山城

065
全国に残る天守、櫓の雛形は5城だが、そのうち二重櫓と、三重櫓の雛形があるのはどこか。
宇和島城
松江城
大洲城
④延岡城
正解→④延岡城

066
内城、松尾城、高城、新城の4つの山城で構成されているのはどの城か。
①九戸城
②志布志城
③知覧城
④佐土原城
正解→②志布志城

067
戊辰戦争時の銃弾の痕が残る写真の木材を使用して三重櫓を再建した城はどれか。
(写真割愛)
①会津若松城
白石城
③白河小峰城
④二本松城
正解→③白河小峰城

068
秀吉の鳥取城包囲戦で秀吉の本陣が置かれたのは次のどれか。
①雁金山城
②丸山城
③玄蕃尾城
④太閤ヶ平
正解→④太閤ヶ平

069
関ヶ原の戦で 石田三成が当初本陣とした城はどれか。
①佐和山城
②大垣城
③松尾山城
④大津城
正解→②大垣城

070
2018年11月16日、国の文化審議会が新たに史跡指定するように答申した城はどれか。
犬山城
②龍岡城
甲府城
④勝瑞城
正解→③甲府城

071
写真の模擬天守が国の登録有形文化財に登録されている城はどれか。

富山城
平戸城
白石城
今治城
正解→①富山城

072
武田、徳川が攻防戦を繰り広げた城で、二つの曲輪が補完して一つの城として機能するいわゆる一城別郭の城として知られるのはどれか。
①諏訪原城
②高天神城
浜松城
④古宮城
正解→②高天神城

073
日露戦争の際に城内に築かれた砲台や地下室が残る城はどれか。
①金田城
②志苔館
③脇本城
④福江城
正解→①金田城

074
由良城から4年をかけて「由良引け」と言われる城移転が行われた城はどれか。
①引田城
中津城
萩城
④洲本城
正解→④洲本城

075
南北朝時代、各地の山岳寺院は城として利用されたが、次の中で寺院山城でないのはどれか。
①霊山城
②太平寺城
③摩耶山城
④黒井城
正解→④黒井城

076
写真は江戸時代初期に取り壊された天守台のあとである。日本最南端の天守台になるこの天守台がある城はどれか。
(写真割愛)
①延岡城
②佐土原城
③知覧城
④勝連城
正解→②佐土原城

077
重要文化財の洛中洛外図屏風(舟木家本)に描かれている城はどれか。
①聚楽第
②伏見城
二条城
④淀城
正解→③二条城

078
和田川を天然の外堀とし、二の丸を主郭とし全方向に曲輪を配した城で戦国期上杉謙信の越中侵攻を1度は退けた堅城はどれか。
①鳥越城
②鮫ヶ尾城
富山城
④増山城
正解→④増山城

079
2017年と2018年の発掘調査で二ノ丸跡の北東部に約400メートルにわたり、礎石が敷き詰められた「屛風折れ土塀」の遺構が確認された城はどれか。
①山形城
②鶴ヶ岡城
③久保田城
福井城
正解→①山形城

080
江戸時代末期、函館開港に伴い幕府の命により松前藩が築いた国内初の洋式城塞はどれか。
①小島陣屋
②四稜郭
五稜郭
④戸切地陣屋
正解→④戸切地陣屋

081
10代藩主が開設した藩校有造館講堂の正門が西の丸跡に移築現存し、本丸跡には三層の模擬櫓のある城はどこか。
①津城
②大垣城
田丸城
④岡崎城
正解→①津城

082
写真は復元された鍛冶工房である。この工房が本丸にある城はどれか。
(写真割愛)
①多賀城
②秋田城
③志苔館
④根城
正解→④根城

083
平時の居館と戦時の詰城からなる中世の山城で、3段構造の館跡上段に現存する庭園が国名勝史跡指定されているのはどこか。
①佐柿国吉城
②黒井城
③小谷城
④多気北畠氏城館
正解→④多気北畠氏城館

084
本丸に「若き日の徳川家康」の像が建ち、本丸石垣は野面積みで、24日のお城EXPO会場で天守曲輪発掘報告があるのはどこか。
浜松城
駿府城
小牧山城
④岡崎城
正解→①浜松城

085
山城でありながら山頂部付近に写真のような石で組まれた池がある城はどれか。
(写真割愛)
①金山城
②滝山城
③小谷城
備中松山城
正解→①金山城

086
明治18年まで唐造(南蛮造)の3重4階の天守があり、天守復元のために資料を懸賞付きで募集しているのはどこか。
①飫肥城
高松城
③津和野城
④久留米城
正解→②高松城

087
月山富田城を本拠とした尼子氏は守護代から戦国大名へとなった。もともと尼子氏はどの守護の守護代だったか。
①大内氏
②三好氏
③京極氏
④細川氏
正解→③京極氏

088
「舞鶴城」と別称された城は全国に10か所以上あるが、次のうち当てはまらないのはどれか。
①米沢城
②飫肥城
③村上城
④高天神城
正解→④高天神城

089
豊川を守りとした「川の城」の姿を偲ぶことができ、昭和29年に鉄櫓という3重櫓が本丸北隅に再建されているのはどこか。
①土浦城
②川越城
掛川城
④吉田城
正解→④吉田城

090
写真の唐造(南蛮造)の天守がある城はどれか。
(写真割愛)
小倉城
②岩国城
③萩城
④津山城
正解→②岩国城

091
多摩川と秋川が合流する加住丘陵の地形を巧みに利用し、堀や土塁の遺構が良好に残る小田原北条氏の支城はどこか。
①韮山城
鉢形城
③忍城
④滝山城
正解→④滝山城

092
本丸をはじめ勘助曲輪など各曲輪は全て空堀で区切られて戦国時代の姿をとどめる城で、現在は問屋門と桜雲橋が残る城はどれか。
松代城
②高遠城
春日山城
④新発田城
正解→②高遠城

093
徳川家康の重臣本多忠勝が城主時代、近世の城に大改造し、二の丸には築城時から涸れたことが無いとされる大井戸が残る城はどれか。
①大多喜城
②佐倉城
③唐沢山城
小机城
正解→①大多喜城

094
外国勢力を撃退するため沿岸砲台の建設を説き、幕末の海防論の起点とされる「海国兵談」の著者は誰か。
①本居宣長
②荻生徂徠
③林子平
④山鹿素行
正解→③林子平

095
お城EXPO2018に出展していて、本年コンクリート造の天守を復元し、来春オープンする城はどこか。
①笠間城
②山形城
③八幡山城
④尼崎城
正解→④尼崎城

096
神代から後村上天皇までの歴史と、南朝の正当性をといた「神皇正統記」が執筆された城はどこか。
①小田城
②根城
七尾城
④唐沢山城
正解→①小田城

097
1615年7月に公布された武家諸法度は、どの城に諸大名を集めて公布したか。
①伏見城
二条城
大坂城
④江戸城
正解→①伏見城

098
「アザナ」とはグスクにおいてどのような役割を持つ場所か。
①虎口
②物見台
③馬出
④水の手
正解→②物見台

099
この大砲(モルチール砲)は、蓮池藩が所持していたと思われる物と神ノ島砲台に設置されていたと思われる物である。2018年9月現在この大砲が展示されている城はどこか。
(写真割愛)
①鹿児島城
佐賀城
臼杵城
平戸城
正解→②佐賀城

100
2018年11月で天守が復興されて87年になり、数え年88歳の米寿を迎えた天守はどの城の天守か。
伊賀上野城
大阪城
③洲本城
④岐阜城
正解→②大阪城

以上、全100問でした。これから検定を受験する方の参考になれば幸いです。