お城EXPO 2017 レポート

2017年12月22(金)、23(土)、24(日)の三日間、二回目の大規模お城イベント「お城EXPO 2017」がパシフィコ横浜で開催されました。
主催者のお一人である東北新社様からのご案内もあり、招待状まで受け取りましたので今年も喜んで行ってきました。
昨年と同じで招待券のみでは私の主目的である厳選プログラムは見れないため、早々に別途ワンデイパスを三日分購入したため、結果的に招待券は使わずじまいとなりました。また、三日間ガッツリ楽しむ予定だったのですが、残念なことにちょうど風邪をひいてしまい、自重して長居せずに帰ってきました。
そんな状態でしたが、二日目と三日目の厳選プログラムは全て見ました。ここでは主に二日目の厳選プログラムで興味深かったものをご紹介します。
ちなみに、今回は私用フロアが増え、人口密度が減ったためか、昨年ほどの混雑ぶりは感じませんでした。特に、物販ゾーンはだいぶゆったりしており、昨年の混雑はなんだったのか…といった感じでした。

1 テーマ展示 – お城のジオラマ模型展
昨年も非常に楽しめたこのコーナー、今年も一見しただけではどこの城かわからないようなマニアックな城の模型が展示されていました。前回は現存十二天守が中心だった天守木製模型も、私の好きな望楼型天守が多く展示されていました。

お城のジオラマ-安土城 その一
お城のジオラマ-安土城 その一
お城のジオラマ-安土城 その二
お城のジオラマ-安土城 その二

お城のジオラマ-金沢城 その二
お城のジオラマ-金沢城 その二
お城のジオラマ-姫路城 その二
お城のジオラマ-姫路城 その二
お城のジオラマ-姫路城 その一
お城のジオラマ-姫路城 その一
お城のジオラマ-仙台城 その一
お城のジオラマ-仙台城 その一
お城のジオラマ-仙台城 その二
お城のジオラマ-仙台城 その二
お城のジオラマ-江戸城
お城のジオラマ-江戸城
お城のジオラマ-豊臣大坂城 その一
お城のジオラマ-豊臣大坂城 その一
お城のジオラマ-豊臣大坂城 その二
お城のジオラマ-豊臣大坂城 その二
お城のジオラマ-苗木城 その一
お城のジオラマ-苗木城 その一
お城のジオラマ-箕輪城
お城のジオラマ-箕輪城

お城のジオラマ-高天神城 その一
お城のジオラマ-高天神城 その一
お城のジオラマ-高天神城 その二
お城のジオラマ-高天神城 その二
お城のジオラマ-高松城天守
お城のジオラマ-高松城天守
お城のジオラマ-岡山城天守
お城のジオラマ-岡山城天守
お城のジオラマ-新発田城三階櫓
お城のジオラマ-新発田城三階櫓
お城のジオラマ-萩城天守
お城のジオラマ-萩城天守

2 厳選プログラム
今年も私のお目当てはこの厳選プログラムで、今回も城会の重鎮である小和田哲男先生や三浦正幸先生のお話を聞くことが出来ました。今回はいくつかの講演でレジュメが配布されたのも良かったです。
ちなみに今回も厳選プログラムの登壇者の先生方が、メインホールの前方隅のあたりの関係者席に座っていたようで、講演の合間には人が集まっていました。とくに千田嘉博先生の周りにはたくさんの人だかりができ、サインや写真撮影に快く応じている千田先生の姿が印象的でした。やはり千田先生はお話が上手です。わかりやすく、ときにはユーモアを交えた話しぶりはとても親しみやすく、非常に引き込まれる講演でした。
というわけでここではこの千田先生の講演をご紹介します。

2.1 厳選プログラム – 12/23(土) 江戸始図から見た江戸城 千田嘉博先生
昨年、松江で千田嘉博先生が再発見した江戸城の古図「江戸始図」から、徳川家康時代の江戸城についての最新調査結果が紹介されました。
これまでは「江戸図屏風」で見る、徳川家光時代の黒い巨大独立天守のイメージが強かった江戸城ですが、そのイメージが大きく変わりました。
また、江戸城へ至るまでの徳川家康の居城の様子から、家康への権力集中の過程が伺えるとのことで、非常に興味深かったです。

2.1.1 江戸城以前の家康の居城を他の天下人の城との比較
・信長の城(安土城)…家臣の屋敷が中枢部の周りに集約。城下町は城に隣接し密度が高い。
・秀吉の城(大坂城)…家臣の屋敷が中枢部の周りに集約。城下町は城に隣接し密度が高い。
・家康の城(岡崎城、浜松城)…家臣の屋敷は城からやや離れた所に点在。城下町は城からやや離れており、密度が低く点在している。
→信長や秀吉にくらべ家臣団に対しての力が弱いため、城下町の大規模改修きなかったことが伺える。

2.1.2 江戸城への入城
ほとんどなにもなかった江戸城への入城により、一から城と城下町を造る機会に恵まれた。これにより無理なく家臣の屋敷を中枢部の周りに集約し、城下町も自分好みに構築できた。
→築城により家康への権力集中を進めることができ、徳川家体制を一新できた。秀吉による家康の関東移封は、家康にとって結果的にプラスになった。

2.1.3 江戸初図はなぜ松江で見つかったのか
松江松平家は家康の三男、結城秀康の子、松平直政が藩祖であり、家康直系の子孫が藩主。よって家康ゆかりの品があっても不思議ではない。

2.1.4 江戸初図の優れているところ
これまで家康時代の江戸城の絵図として「慶長江戸図」があったが、あまり精密なものではなく完成度が低かった。しかし「江戸初図」はこの慶長江戸図でわからなかった部分が詳細に描かれていた。

2.1.5 江戸初図から読み取れたこと
・天守は大・小天守が連立した姫路城のような連立式天守であった。
・本丸の出入り口は五重の外枡形で、過剰なほどの防御体制であった。五重の外枡形は熊本城に見られる。
・天守北側には3連続馬出しがある。これは武田氏や北条氏が好んだ馬出しである。
・天守は家光時代の天守を上回る規模であった。
→江戸城は織豊系城郭と東日本の城郭の集大成であり、城の東西統一だった
→大阪の陣を前に、家康は城づくりで信長・秀吉を圧倒。西国大名は天下普請によりこれを実感した。

2.1.6 秀忠、家光はなぜ家康の江戸城をそのまま引き継がなかったか
・名古屋城を見ると城の役割の変化がわかる。名古屋城は2つめの小天守を大天守に面した堀の中に築く予定であった。堀の中に築くのは、政治拠点としての本丸の面積確保を優先したため。後にこの小天守計画自体が中止
→過剰防衛な戦いのための城から、政治拠点としての城への役割が変化。
→江戸城も同様で、五重の外枡形や連立式天守は、本丸の面積確保の邪魔であり、順次改造されていった。

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