「小田原城」カテゴリーアーカイブ

小田原城御用米曲輪発掘調査現地説明会(2023年11月25日)

小田原城御用米曲輪では2011年から断続的に発掘調査と整備事業が続いています。11月25日(土)に2015年以来実に8年ぶりの発掘調査現地説明会が行われました。
前回、第9回説明会の記事では”最後”の説明会と記載しましたが最後ではなかったですね。想定外の大発見もあり発掘調査が伸びているのでしょうか。発掘と整備はまだまだ続くようです。

これまでの説明会については以下を御覧ください。
第1回(2012年2月4日)
第2回(2012年8月18日)
第3回(2013年2月16日)
第4回(2013年10月19日)
第5回(2013年11月23日)
第6回(2013年12月21日)
第7回(2014年3月8日)
第8回(2014年11月8日)
第9回(2015年3月7日)

御用米曲輪では平成に入って第2次調査から現在進行中の第8次調査が行われています。第3次調査(2011年)では江戸時代の絵図通りの蔵跡を検出しました。
特に第4次調査では戦国時代の礎石建物跡、切石敷遺構や石組水路、池などが確認され、これらは北条氏時代の会所と庭園と考えられています。庭園は様々な種類の石材をタイル状に敷き詰めた全国に類を見ないもので北条氏独特の文化があったのではと戦国ファンの間で大きな話題になりました。私自身も小田原城主要部から北条氏時代の施設跡がついに見つかったと興奮しました。詳しくは第7回第8回の記事をご覧ください。

御用米曲輪南東部模式図(北条氏時代を推定)
御用米曲輪南東部模式図(北条氏時代を推定)

現在進められている第8次調査では、第4次調査で確認された北条氏時代の庭園の東側の調査を行い、これまで確認された北条氏時代の石組水路がどこまで展開しているかを明らかにすることが目的となっています。

8次調査区域の位置
8次調査区域の位置

今回公開された8次調査Ⅱ区は、何回も折れ曲がる石組水路、砂利敷遺構、玉石敷遺構、井戸、礎石跡などが確認されました。

8次調査Ⅱ区(東から撮影)
8次調査Ⅱ区(東から撮影)
8次調査Ⅱ区(南から撮影)
8次調査Ⅱ区(南から撮影)

・石組水路
石組水路は、方向が北西-南東、北東-南西のものが見つかり、これらはクランク状に曲がった一連の水路である可能性があります。今回の調査で見つかった石組水路はこれまで隣接する調査区で見つかった石組水路とつながる可能性があるとのことです。石組水路からは多数のかわらけの破片が見つかっており、水路周辺でなんらかの儀式が行われていたのではないかと考えられています。

石組水路(北条氏時代)と井戸(北条氏時代以降と思われる)
石組水路(北条氏時代)と井戸(北条氏時代以降と思われる)
石組水路(北条氏時代)
石組水路(北条氏時代)

・砂利敷遺構・礎石跡
調査区の北東側では砂利敷と玉石時期が見つかりました。砂利が円形に抜けている範囲には礎石があった可能性があるとのこと。

砂利敷遺構と礎石跡か(北条氏時代)
砂利敷遺構と礎石跡か(北条氏時代)

・井戸
調査区の中央では石組の井戸が見つかりました。井戸の上層からは江戸時代の瓦が出土しており、井戸が埋まったのはこの時期と考えられています。

井戸(北条氏時代より後のものと思われる)
井戸(北条氏時代より後のものと思われる)

以上が今回の第8次調査で確認された遺構です。

・整備状況
今回は整備状況についての説明も行われました。特に目についたのは瓦積塀周辺の整備です。
瓦積塀は御用米曲輪西側、本丸斜面で見つかった小田原城唯一の江戸時代の構造物です。整備に当たってはオリジナルの遺構は保護のため埋め戻し、その上に盛り土を行い周囲で見つかった石垣は復元し、瓦積塀はレプリカを設置しています。

瓦積塀と石垣(江戸時代)
瓦積塀と石垣(江戸時代)
瓦積塀(江戸時代)
瓦積塀(江戸時代)
瓦積塀周辺の整備状況
瓦積塀周辺の整備状況

当初、御用米曲輪は江戸時代の姿で整備を行うという方針になっていましたが、北条氏時代の遺構が数多く見つかったことで江戸時代、戦国時代それぞれのエリアを設けて整備を行う方針に変わりました。
江戸時代エリアの目玉は瓦積塀、戦国時代エリアの目玉は切石敷庭園になるかと思いますが、現時点では遺構保護のため埋め戻されています。個人的にはオリジナル遺構を露出展示してほしいというのが本音ですが、大規模な覆屋や展示施設で遺構を保護する必要があり、他の城跡や遺跡の整備状況などを考えるとなかなか難しいのではと思っています。

石材への環境影響調査
石材への環境影響調査

遺構の露出展示については御用米曲輪の環境調査エリアで、発掘調査で出土した遺構の露出展示の可能性を検討するため、各種石材に基質強化剤や撥水剤を塗布して長期間設置し、石材への影響を調査しています。この調査結果によってはオリジナル遺構の露出展示もあり得るかもしれません。
詳しくは史跡小田原城跡御用米曲輪戦国期整備検討部会のページの会議録をご覧ください。

最後に、御用米曲輪の端に発掘で見つかった瓦片が山積みになっていました。これだけの瓦片が見つかったことに驚きです。

出土した瓦片の山
出土した瓦片の山

小田原城の桜【2019】4月6日、4月7日編

今年も桜の季節がやってきました。
というわけで、毎年恒例の小田原城早朝桜見物に行ってきました。今年は桜の満開と土休日、そして晴天が重なるという幸運に恵まれました。
今年は例年に比べ開花がだいぶ遅く、開花後も突然寒くなり満開まで少々時間がかかったように感じます。そのためか例年ならほとんど葉桜になっている4月9日時点でもまだ花が残っているようでした。
今年は夜桜ライトアップもパワーアップしており、本丸では様々な色のLEDでライトアップされた幻想的な姿を見ることができました。私の撮影技術は低いのでこれまで夜間撮影は避けていたのですが、素直に夜景モードで撮ればそれなりに撮れることがわかったので、これからは夜間撮影にもどんどん挑戦しようと思っています。
平成最後、時代の節目を記念するように咲き誇る桜は感慨深いものでした。

小田原城の桜(4月6日)#1
小田原城の桜(4月6日)#1
小田原城の桜(4月6日)#2
小田原城の桜(4月6日)#2
小田原城の桜(4月6日)#3
小田原城の桜(4月6日)#3
小田原城の桜(4月6日)#4
小田原城の桜(4月6日)#4
小田原城の桜(4月6日)#5
小田原城の桜(4月6日)#5
小田原城の桜(4月6日)#6
小田原城の桜(4月6日)#6
小田原城の桜(4月6日)#7
小田原城の桜(4月6日)#7
小田原城の桜(4月6日)#8
小田原城の桜(4月6日)#8
小田原城の桜(4月6日)#9
小田原城の桜(4月6日)#9
小田原城の桜(4月6日)#10
小田原城の桜(4月6日)#10
小田原城の桜(4月6日)#11
小田原城の桜(4月6日)#11
小田原城の桜(4月6日)#12
小田原城の桜(4月6日)#12
小田原城の桜(4月6日)#13
小田原城の桜(4月6日)#13
小田原城の桜(4月6日)#14
小田原城の桜(4月6日)#14
小田原城の桜(4月6日)#15
小田原城の桜(4月6日)#15
小田原城の桜ライトアップ(4月7日)#1
小田原城の桜ライトアップ(4月7日)#1
小田原城の桜ライトアップ(4月7日)#2
小田原城の桜ライトアップ(4月7日)#2
小田原城の桜ライトアップ(4月7日)#3
小田原城の桜ライトアップ(4月7日)#3
小田原城の桜ライトアップ(4月7日)#4
小田原城の桜ライトアップ(4月7日)#4

小田原城から新島が見えた?

摩利支天像を祀る部屋の見学に行った1月27日は冬晴れで非常に天気が良く雲ひとつ無い快晴でした。小田原城天守最上階からは江ノ島や伊豆大島、さらに利島まで見えました。小田原から利島までの直線距離は約80キロメートル、伊豆大島は頻繁に見ることができるのですが利島まで見えるのは天気が良いときだけです。数年前に小田原からはじめて利島を見たときはかなり驚きました。
今日は利島が見えるぞ~と思っていると、その特徴的な三角形の右側にもうひとつ島影を発見。最初は初島かと思いましたがそれにしては遠すぎる気がします。帰ってGoogleマップで確認した所、新島の可能性があります。小田原から新島までの距離は約100キロメートルあります。確信はありませんが小田原市国府津から新島、神津島が見えたとの情報を見つけました。そう考えると小田原城から新島が見えてもおかしくはありません。

天守最上階から見た江ノ島(2019年1月27日)
天守最上階から見た江ノ島(2019年1月27日)
天守最上階からみた相模湾(2019年1月27日)
天守最上階からみた相模湾(2019年1月27日)
天守最上階から見た利島と新島?(2019年1月27日)
天守最上階から見た利島と新島?(2019年1月27日)
天守最上階から見た小田原駅周辺(2019年1月27日)
天守最上階から見た小田原駅周辺(2019年1月27日)

小田原城天守の摩利支天像

馬屋曲輪から見た銅門、常盤木門、天守(2019年1月27日)
馬屋曲輪から見た銅門、常盤木門、天守(2019年1月27日)
天守(2019年1月27日)
天守(2019年1月27日)

小田原城天守には江戸時代から猪に乗った摩利支天像が祀られています。摩利支天像を祀った部屋には普段は入ることができませんが、今年は亥年ということで1月から2月初頭にかけて特別にこの部屋に入ることができ、正面間近から摩利支天像を見ることができました。摩利支天像を祀る部屋の謂われは以下を御覧ください。
小田原城天守模型等調査報告会

摩利支天は古代インドの陽炎を神格化した女神・マリーチのことです。陽炎のように身を隠せ、他人から傷つけられることなくあらゆる対処ができるという霊験のため、日本では武芸の神となり武士に熱く信仰されました。小田原城の摩利支天像は高さ40センチほどでしょうか、あまり大きくはありません。平成の大改修前は天守型厨子の中に収められ、ガラスケースの中に入って最上階のおみやげコーナーの前にありました。数年前の小田原城天守平成の大改修で摩利支天像を祀っていた天守最上階の部屋が復元され、摩利支天像が収められました。江戸時代の様子が再現されたわけです。

天守に神仏を祀ることは珍しくありませんが小田原城のように薬師如来、弁財天、地蔵菩薩、摩利支天、如意輪観音、大日如来、阿弥陀如来と七尊もの神仏を祀る例は珍しいと思います。祀られている神仏にも脈絡がありません。これら七尊は廃城時の小田原城天守取り壊し後、天守近くの城山にある永久寺に移され、昭和の天守復興時に天守型厨子とともに摩利支天像のみ天守に里帰りしました。古い記録には小田原城天守八尊という言葉が出てくるのですが現存するのは七尊ということで、あと一尊がなんだったのか気になります。

摩利支天像を祀る部屋
摩利支天像を祀る部屋
摩利支天像その一
摩利支天像その一
摩利支天像その二
摩利支天像その二
摩利支天が乗る猪
摩利支天が乗る猪
摩利支天像とほか六尊の配置
摩利支天像とほか六尊の配置
天守型厨子
天守型厨子

小田原城の桜【2018】3月31日編

3月25日(日)から約一週間、まだ満開ではなかった小田原城の桜がどうなったのか、3月31日(土)も朝6時半に家を出発し、撮影に行ってきました。
私は仕事で藤沢まで通勤しているのですが、藤沢の桜はすでに散り始めていたので、小田原の桜が持っているか心配でしたが、杞憂だったようです。
一週間で見事に花が開き、満開、まさに花盛りでした。
今年は満開、休日、晴天が重なり、ここ数年で一番綺麗な桜を見ることが出来ました。お城の近くで「今年の桜は凄いねぇ」とご近所さんの井戸端会議を耳にしましたが、まさにそのとおり桜でした。これだけ見事な桜は一生に何回も見られるものではないと思うほどでした。

小田原城の桜(3月31日)#1
小田原城の桜(3月31日)#1
小田原城の桜(3月31日)#2
小田原城の桜(3月31日)#2
小田原城の桜(3月31日)#3
小田原城の桜(3月31日)#3

何年も小田原城で桜を撮影してきて、今頃になって気がついたのですが、隅櫓近くのこの当たりはソメイヨシノの他に濃いピンク色で小さい桜があるようです。花には詳しくないので種類はわかりませんが、ピンクのグラデーションが美しいです。

小田原城の桜(3月31日)#4
小田原城の桜(3月31日)#4

馬出門を入った馬屋曲輪にも桜があります。以前はここに桜はなかったような記憶があります。ここからは銅門、常盤木門、天守が一列に並ぶ姿を見ることが出来、そこに桜がくわわり絶景となってます。私のお気に入り桜ポイントになりました。

小田原城の桜(3月31日)#5
小田原城の桜(3月31日)#5
小田原城の桜(3月31日)#6
小田原城の桜(3月31日)#6

そして本丸の常盤木門を入ったところに小田原城の桜の標本木があることを今年になって知りました。今年はその木に「標本木」と張り紙がしてあったためです。3月25日(日)の時点では、この標本木とお堀端の桜ではだいぶ開花具合に差があり、標本木はかなり先行して花が開いていました。3月31日(土)にはどちらも満開でした。

小田原城の桜(3月31日)#7
小田原城の桜(3月31日)#7
小田原城の桜(3月31日)#8
小田原城の桜(3月31日)#8
小田原城の桜(3月31日)#9
小田原城の桜(3月31日)#9
小田原城の桜(3月31日)#10
小田原城の桜(3月31日)#10

天守の裏手、現在は遊園地になっている屏風岩と呼ばれる当たりの桜も見事です。ここからはピンク色の絨毯に浮かぶ天守を見ることが出来ます。
ちょっと寂れた遊園地と桜の組み合わせもなかなか良い雰囲気です。今年は遊園地のメリーカップが撤去され、残る乗り物は豆汽車とゴーカート、その他の電動遊具のみとなりましたが、昔はここに観覧車や飛行塔があったことを覚えています。

小田原城の桜(3月31日)#11
小田原城の桜(3月31日)#11
小田原城の桜(3月31日)#12
小田原城の桜(3月31日)#12
小田原城の桜(3月31日)#13
小田原城の桜(3月31日)#13

最後に小田原城の様々な場所で撮影した桜です。それぞれの撮影場所がわかったらかなりの小田原城マニアだと思います。

小田原城の桜(3月31日)#14
小田原城の桜(3月31日)#14
小田原城の桜(3月31日)#15
小田原城の桜(3月31日)#15
小田原城の桜(3月31日)#16
小田原城の桜(3月31日)#16

 

小田原城の桜【2018】3月25日編

今年も桜の季節がやってきました。
3月に入ってからも暑かったり、寒かったりとなかなか安定しない気候でしたが、ようやく安定して暖かくなってきました。
というわけで、毎年恒例の小田原城早朝桜見物に行ってきました。
開花宣言直後だったので、全体的には三分咲きといったところで満開まではまだまだでしたが、同じ小田原城址公園内でも場所によっては六分咲きくらいのところもあり、桜の環境に対する敏感さにあらためて驚かされました。

小田原城の桜(3月25日)#1
小田原城の桜(3月25日)#1
小田原城の桜(3月25日)#2
小田原城の桜(3月25日)#2
小田原城の桜(3月25日)#3
小田原城の桜(3月25日)#3

#3の写真のあたりは確か去年は桜の木がなかった場所だったので、最近植えられた桜だと思います。銅門、常盤木門、天守が一列に望める場所でお気に入りの場所です。

小田原城の桜(3月25日)#4
小田原城の桜(3月25日)#4

#4の写真の桜は本丸にある小田原城の桜標本木です。今年は木の幹に堂々と「標本木」の張り紙がしてありました。この木を基準にして開花宣言がされるようで、この木だけは六分咲から七分咲きといったところで、開花がかなり進んでいました。

小田原城の桜(3月25日)#5
小田原城の桜(3月25日)#5
小田原城の桜(3月25日)#6
小田原城の桜(3月25日)#6

3月25日の時点では、まだ満開ではありませんでしたが数日中に満開になりそうな様子でした。次に早朝桜見物ができるのは3月31日(土)なので、そのころにちょうど満開になっていることを期待しています。しかし、ここ数日はかなり気温が高いので満開は過ぎて散り始めているかもしれません…
まあ全部散っていることはないと思うので、31日にまた早朝桜見物に行って、写真を沢山撮ってきます。

小田原城 堀の水抜き

テレビ東京で放送されている「池の水ぜんぶ抜く」のターゲットに小田原城のお堀が選ばれたそうです。水抜きをしての清掃と特定外来生物の駆除が主な目的で、おまけとして池の底から新発見があるかも…といった番組です。
私はこの番組を見たことはないのですが、なかなか面白いようで噂は聞いていましたが、まさか小田原城がターゲットになるとは思いませんでした。ちなみに小田原城の堀の水が抜かれるのは38年ぶりとのことです。
早速、水が抜かれた小田原城のお堀の様子を撮影してきました。

3月17日(土)にはすでに水抜きが始まっており、水位が50センチほど下がっていました。水面下の石垣は日焼けや汚れがなく綺麗な状態でした。このような様子は昔と比べて堀の水位が大幅に下がった大坂城でも見ることが出来ます。小田原城の堀の水はお世辞にも綺麗とは言えず、鯉やらアヒルやらが住んでいます。深さもそれほどではないですが、水抜きをしてはじめてその深さを実感することができました。

二の丸東側の堀(3月17日)
二の丸東側の堀(3月17日)
馬出門と隅櫓周辺(3月17日)
馬出門と隅櫓周辺(3月17日)

水位が下がったため石垣が少し高くなったように見え、ちょっと嬉しいです。
ちなみに、関東大震災前の小田原城の石垣は全体的に今よりかなり高かったのですが、震災後の復興時に低く積み直してしまいました。

学橋(3月17日)
学橋(3月17日)
馬屋曲輪東側の堀(3月17日)
馬屋曲輪東側の堀(3月17日)
馬屋曲輪南側の堀(3月17日)
馬屋曲輪南側の堀(3月17日)

今回の水抜きで堀底から何が出てくるのか楽しみでしたが、銅門が復元される前にかけられていた端の橋脚跡が現れました。この橋は現在の馬出門正面から銅門の場所に掛けられていたもので、工事用の仮設の橋だったと記憶しています。

銅門付近の橋脚跡(3月17日)
銅門付近の橋脚跡(3月17日)

翌3月18日にも水位がどのくらい変わっているかを確認しましたが、ほとんど水位は変わっていないようでした。
この日は隅櫓脇から馬出門の場所にかけられていた橋の橋脚跡を見ることが出来ました。この橋は確か「隅櫓橋」で、学び橋と同じ造りの赤い橋で、学橋と同様に近代になってかけられた橋でしたが、馬出門復元にあたり取り壊されたものです。

二の丸東側の堀(3月18日)
二の丸東側の堀(3月18日)
隅櫓脇の橋脚跡(3月18日)
隅櫓脇の橋脚跡(3月18日)

そして番組収録当日の3月21日(水)、本降りの雨に加え、3月とは思えない寒さの中、お堀の様子を見に行くと…
大混雑でした。

お堀端通り(3月21日)
お堀端通り(3月21日)

もともと番組の収録にはあまり興味がなく、混雑と寒さも想像以上だったため、水位の確認をして帰宅することにしました。

隅櫓周辺(3月21日)
隅櫓周辺(3月21日)

水位は3月17日に比べて若干下がったといったところでしょうか。堀の水を抜くということで、完全に干上がらせるのかと思っていたのですが、そうではないようです。

38年ぶりのお堀の水抜きということで、小田原城の珍しい姿を見ることができました。かつての小田原城のなごりである二つの橋脚跡を見ることができたのがなによりでした。
番組の放送は4月22日(日)ということなので、今から楽しみです。

早川口二重外張発掘調査見学会

早川口二重外張は早川に面した(とは言っても早川までは結構な距離があります)小田原城惣構の虎口で、熱海方面に向かう街道(熱海道)に対応した城門でした。その名前の示すとおり、土塁と堀を二重に配した構造で、低地部で確認できる数少ない小田原城惣構の遺構です。
これまで小田原城惣構の低地部の遺構は、本格的な発掘調査が行われていませんでした。今回の早川口二重外張の発掘調査がその最初の例になるそうです。
現地発掘調査説明会が2017年12月2日(土)に開催されたので、その様子をお知らせします。

早川口二重外張全景

早川口二重外張全景その一
早川口二重外張全景その一
早川口二重外張全景その二
早川口二重外張全景その二

早川口二重外張はその名の示すとおり、土塁が二重になっています。この当たりは明治時代遺構に屋敷の庭園としてかなりの改変を受けていますが、外側の土塁と内側の土塁に挟まれた谷のような地形を確認することが出来ます。東側(内側)は標高10メートル程度、南側は標高8メートル以下で、早川に近づくにつれて標高が低くなっていきます。また土塁に沿って西から南へ小田原用水の分流が今でも流れています。

5トレンチ・7トレンチ

5トレンチ
5トレンチ
7トレンチ
7トレンチ

5トレンチでは現況地形が明治以降に大きく改変されているとがわかりました。特に興味深かったのは5トレンチで、ここでは近代に掘られた穴に大量の海砂が詰まっていました。これは1902年9月28日に発生した小田原大海嘯で陸に上がった海砂を捨てた跡ではないかとのことでした。こんなところに近代小田原の歴史の一旦が埋もれているとは驚きです。
7トレンチを始めとした内側土塁の側からは、江戸時代に水田として利用されていたと考えられる土の堆積が確認できました。水分を多く含んだ状態が続くと、土の中の酸素が減り、土が青緑色になるようです。街中で発掘調査をして、このような青緑色の地層が出た場合は大体が水田だとか。またひとつ勉強になりました。

6トレンチ

6トレンチその一
6トレンチその一
5・6トレンチ全景
5・6トレンチ全景
6トレンチその二
6トレンチその二

今回の見学会で最も見ごたえがあったのが、外側の土塁を試掘した6トレンチになります。このあたりは今でも土塁らしさをとどめており、その土塁の断面を確認することが出来ました。
驚いたことにここでは「土塁」と言いながら、その芯から大量の石材が使用されている状況が確認できました。石材と土で土塁の中心を造り、それを土で覆って土塁としているイメージです。小田原市史には海岸線(浜町)の惣構土塁において「石がまとまって出土したといわれている」という記述があり、今回確認できた遺構の状況と合致しており、低地部惣構土塁の構造上の特徴である可能性が高まりました。
低地部の土塁としては、惣構東側の蓮上院周辺にも残されていますが、もしかしたら蓮上院の土塁も掘り返してみると石が大量に出てくるかもしれません。あるいは、早川口は早川が近く川石の入手が容易なため、とりあえず資材として使ったという可能性もありますが。
しかし、土塁は芯まで土で埋まっているものというのが私の常識であったため、土の中から石が出てきたことには驚きました。

8トレンチ

8トレンチ
8トレンチ

8トレンチでは外側土塁の法面、二重の土塁の間隔が狭くなっている部分から砂利敷きが確認されました。砂利敷きについては、虎口内の通路ではないかと考えられますが、今後のさらなる調査が必要なようです。

小田原城の桜 2016

いろいろあって投稿が遅くなりましたが、4/9(土)に春恒例の早朝小田原城桜見物に行ってきました。
一週間前にはすでに五分咲きになっており、加えて雨の日が幾日かあったためもう散ってしまっているのではないかと心配していましたが、調度よい感じに咲いていました。
さらに今年は小田原城天守最初で最後(のはず)の大改修工事が完了し、年季の入っていた天守が真っ白になり、桜色と白亜の天守の組み合わせが本当に綺麗でした。天守の周りの木も何本か伐採されておりこれまでと違った印象を受けました。
ちなみに天守の新装オープンは5/1(日)です。初日は流石に混みそうなので大型連休中のどこかでふらっと入ってみようと思っています。

お堀端通りの桜その一
お堀端通りの桜その一
お堀端通りの桜その二
お堀端通りの桜その二
隅櫓と桜その一
隅櫓と桜その一
お堀端通りの桜その三
お堀端通りの桜その三
隅櫓と桜その二
隅櫓と桜その二
天守と桜その一
天守と桜その一
天守と桜その二
天守と桜その二
天守と桜その三
天守と桜その三
天守と桜その四
天守と桜その四
天守と桜その五
天守と桜その五
天守と桜その六
天守と桜その六
天守と桜その七
天守と桜その七
遊園地と桜
遊園地と桜

小田原城天守耐震改修工事見学会

2015年7月から2016年4月まで、小田原城天守は建築後初めての大規模改修工事を行っています。主な目的は築55年がたち老朽化が進む鉄筋コンクリート製天守の耐震補強です。
当所は予算3億円ほどで柱の補強など小規模な改修となる予定でしたが、専門家の検査によりそれでは耐震性に問題ありとなったため、耐震壁を設けるなど大規模な改修工事となりました。耐震壁を設けることで内部の構造が大きく変わるため、展示等も大幅リニューアルすることになりました。私としても昭和の香りたっぷりだった展示がリニューアルするのは嬉しい限りです。
最終的な予算は9億7000万円となりましたが、うち3億円はこれまで入場料で貯めたお金、残りは借り入れ金でまかない、税金は使用しないとのこと。小田原城天守が独立採算でやっていることを初めて知りました。

さて、2016年3月6日(日)、小田原市民を対象に佳境に入った小田原城天守耐震改修工事見学会に行ってきました。定員50名のところ130名の応募があったとのことで、なかなか盛況な様子。工事中の貴重な様子を見ることが出来ました。

  • 外観
    外壁はヒビ等が数多く合ったため、全面的に塗り直しをしました。漆喰をベースとしてはいますが現代塗料も使用しているとのこと。また大棟の上に2本突き出ていた避雷針は見栄えを良くするために撤去、かわりに鯱に小さな避雷針を設置したそうです。

    外観その一
    外観その一
    取り外された避雷針
    取り外された避雷針
    外観その二
    外観その二

    塗り替え前後の壁
    塗り替え前後の壁
  • 内部
    内部は多くの場所に耐震壁を設置したため、今までよりだいぶ狭く感じます。天井に空調を設置したため天井も低くなっています。1階には窓がなく通路の両脇に設置されたパネルを見ながら進むような感じでしょうか。1階は江戸時代がテーマになります。これまで5階にあった売店は1階に移動します。

    1階
    1階

    2階は窓が開かれていますが、やはり耐震壁を設けたためこれまでより狭く感じます。2階は北条氏時代がテーマになります。1階と2階にはそれぞれミュージアムシアターが設けられ、いかにも今風な博物館といった感じです。しかしあの小田原城が随分とおしゃれになったものです。

    2階その一
    2階その一
    2階その二
    2階その二
    2階その三
    2階その三

    3階、4階は展示スペース的にはこれまでとほぼ変わらず、工芸品などを展示します。

    3階吹き抜け
    3階吹き抜け
    4階から3階を見る
    4階から3階を見る

    5階は今回リニューアルの目玉である摩利支天空間の木造再現がメインとなります。小田原城天守復興の際、参考とされなかった東博模型で確認された摩利支天と天守七尊を祀る空間(詳しくはこちら)を「オール小田原」をコンセプトに木造再現しています。木材は辻村山林(小田原の人ならわかるかな…)の樹齢300年、200年といった木材を使用しています。あの山にこんな立派な木があるとは知りませんでした。そして宮大工の芹澤棟梁は銅門の復元を手がけた方です。「摩利支天様がこらからも末永く小田原を守ってくれることを願い造らせて頂いた」との棟梁の言葉が印象的でした。

    階段から5階を見る
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    5階摩利支天空間
    5階摩利支天空間

    摩利支天について
    摩利支天について
  • 最後に
    築55年がたちだいぶくたびれた感じの小田原城天守でしたが、今回のリニューアルにより大きく生まれ変わりそうです。
    昭和30年代に造られたコンクリート製天守の多くは、市民の寄付が大きな財源となり建築されているものも多く、小田原城もそのひとつです。当時の人々の城と郷土に対する愛着の現れがこのコンクリート製天守といえるのではないでしょうか。こういった人々の思いも含め、コンクリート製天守もそう悪いものではないと私は思います。
    今回のリニューアルで小田原城に来た人々の満足度がアップし、小田原城の経営も上向くことを期待しています。リニュアールオープンは5月1日の予定です。