小田原城御用米曲輪発掘調査現地説明会(2013年12月21日)

現在、小田原城の御用米曲輪では史跡整備のための発掘調査が行われています。先月に引き続き1ヶ月間の発掘成果の現地説明会が12月21(土)に行われたので行って来ました。 前回の現地説明会の投稿はこちらです。

今回の現地説明会では、先月からの1ヶ月間の調査で北条氏時代の「池」の西側から確認された北条氏時代の切石敷遺構、切石敷井戸を見ることが出来ました。

  • 切石敷遺構
    鎌倉石や風祭石を用いて構築されています。これらの石を巨石を配しながら幾何学的に敷き詰め、独特の景色を作り上げています。中心部には井戸のような穴がありますが、高低差を考えると周りの切石からの水がこの穴に流れ込んでしまうため、井戸ではないと考えらます。この遺構の用途は不明ですが、これまでに見つかった池の護岸とともに、北条氏の志向として方形の切石をタイルのように用いる考え方があったのは間違いなさそうです。

    切石敷遺構1
    切石敷遺構1
    切石敷遺構2
    切石敷遺構2
    切石敷遺構3
    切石敷遺構3
  • 切石敷井戸
    風祭石の切石を幾何学的に組み合わせて造られており、井戸の内部は円礫を4メートル以上積み上げています。遺物が出土していないことから、井戸の時期を特定する要素は少ないですが、北条氏時代の石組水路が並行に走っていること、近世の遺構面より80センチメートルほど低い位置にあることから戦国期の井戸と考えられます。小田原城には同様の井戸が馬屋曲輪で確認されていますが、江戸時代のものになります。今回は発掘調査の都合上、近くから見ることは出来ませんでしたが、遺構の写真が展示されていました。
    切石敷井戸1
    切石敷井戸1
    切石敷井戸2
    切石敷井戸2

今回の説明会で3ヶ月連続説明会ラッシュは終了となります。これまでの発掘により北条氏時代の御用米曲輪南側の全容が明らかになってきました。 おおまかには東から順に池(五輪塔・宝篋印塔の部材を護岸に使用した全国的に類例のないもの)→掘立柱建物→砂利敷および石組井戸→切石を使用した庭園(今回の説明会部分)→掘立柱建物→大規模な礎石建物(詳細未発掘部分)という構成になっているようです。

近世蔵跡から見た発掘現場全景
近世蔵跡から見た発掘現場全景(拡大画像は右クリックメニューから新しいタブを開いてください)
鉄門坂から見た発掘現場全景
鉄門坂から見た発掘現場全景

次回の調査説明会についてはまだ未定ですが、新たな発見があり次第説明がを行いたいとのことでした。今後の調査でも驚くべき新発見があることでしょう。引き続き小田原城御用米曲輪は私のような城マニアの注目を集めそうです。

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