昨年の11月に伊勢方面の田丸城、松阪城に行ってきました。
どちらも石垣がみどころのお城で、上方の石垣力の高さに改めて関心しました。
KemaAkeの全国城めぐり-田丸城
KemaAkeの全国城めぐり-松坂城


昨年の11月に伊勢方面の田丸城、松阪城に行ってきました。
どちらも石垣がみどころのお城で、上方の石垣力の高さに改めて関心しました。
KemaAkeの全国城めぐり-田丸城
KemaAkeの全国城めぐり-松坂城


2016年12月23(金)、24(土)、25(日)の三日間、おそらく全国初であろう大規模お城イベントの「お城EXPO 2016」がパシフィコ横浜で開催されました。
主催者の一角である東北新社様からのご案内もあり、招待状まで受け取りましたので喜んで行ってきました。
もっとも私が楽しみにしていたお城会の重鎮の先生方による厳選プログラムは別料金が必要で、座席指定となるため、満席を恐れて前売り券を買ってしまい、招待券は使わずじまいとなりました。私は23(金)、24(土)と参加して、厳選プログラムの講演やトークショーに張り付いていたので、テーマ展示はゆっくり見ることが出来ませんでした。次回は厳選プログラムの密度をもう少し減らしていただけるとテーマ展示も十分見ることができ、城ファンとしてはありがたいと思います。
テーマ展示 – 熊本城復興支援コーナー
4月の熊本地震で甚大な被害を受けた熊本城について、被害状況説明と8ヶ月がたった現在の姿の写真が公開されていました。4月14日21時26分の前震(M6.5)では石垣の崩壊は6箇所のみ、現存建造物は長塀のみが崩壊、と比較的被害は軽かったようですが、16日1時25分の本震(M7.3)で石垣、現存建物ともに大被害を被りました。現代の建物でもM7クラスの地震を二回も喰らえばただではすまないので致し方ないでしょう。むしろ前震をほとんどの石垣、建物が持ちこたえたことは熊本城の築城技術の高さを証明していると思います。最終的な被害状況は以下となります。
・石垣
膨らみ・緩み 64箇所、517面 約23600㎡(29.9%)
うち崩壊50箇所、229面 約8200㎡(10.3%)
・重要文化財建造物
13棟 倒壊2棟、一部倒壊3棟、他は屋根・壁破損など
・復元建造物
20棟 倒壊5棟 他は屋根、壁破損など
被害総額
・石垣 約425億円
・重要文化財建造物 約72億円
・再建・復元建造物+その他公園施設 約137億円
計 634億円

お土産、グッズ、書籍販売会
お城や戦国関係の書籍や模型等が販売されていました。特に私が気になったのは「城ラマ」ブースです。城ラマとは「お城ジオラマ復元堂」さんが作成・販売している中世城郭のジオラマで、お城ブームの昨今注目を集めています。これまでお城の模型というと天守やその周辺のみで、土の城である中世城郭が商品化されるのは初めてだと思います。私がはじめて「城ラマ」を知ったのはたしかタモリ倶楽部ででした。そのときは、かなり小さいため作りが雑なのかなと思っていましたが、実際に現物を見てみるとかなり細かい作り込みに感動しました。
現在は長篠城、高天神城、上田城が販売されており、近々竹田城がラインナップに加わるとのこと。ここでは非売品の小机城も展示されていました。気になったのは小田原城にも取材(?)に行ったとの新聞記事が展示されており、担当者さんに小田原城も出るか伺ったところ、小田原城は大きすぎてちょっと厳しいとのこと。でも顔は笑っていたのでもしかしたら…小田原城となればお値段が張っても私は買うので期待したいところです。




テーマ展示 – お城のジオラマ模型展
「お城のジオラマ模型展」では、城郭模型作家・岐部博氏が製作した城ジオラマを40点を展示。現存十二天守の城から、なかなかマニアックな城まであり見入ってしまいました。ジオラマということでサイズの制約上かなりデフォルメがされていますが、いずれもその城の特徴が出ており、中には歴史的事件等を盛り込んだものもあり面白い造りになっていました。





















テーマ展示 – 城郭の浮世絵展
城郭の浮世絵展では江戸時代、文化文政期から幕末、明治にかけての戦国時代の合戦等をモチーフにした浮世絵が展示されています。戦国時代をモチーフにしながら幕末の洋船、いわゆる黒船が描かれている、立派な天守があったりといろいろと面白いものがありました。
真柴久吉公播州姫路城郭築之図では秀吉が「真柴久吉」と描かれ、周りには「浮島正則」や「畑切且元」といったどこかで見たような人物が描かれています。豊臣政権を否定する徳川幕府にはばかってのことでしょうが、ミエミエな感じがおかしくすらあります。浮世絵師も幕府もお互いなあなあでやっていたのかもしれません。名将諸国を征伐之図は秀吉の一連の戦いを抽象的に描いたもののようで、城の周りには北条や本願寺など、秀吉がその生涯で対峙した相手の旗がはためいています。




テーマ展示 – 厳選城絵図展
厳選城絵図展では、公益財団法人 日本城郭協会が長年にわたり収集した城郭の絵図から選りすぐりの8点が展示されています。今回展示されている絵図は、歴史資料というより美術品としての性格が強いものですが、城の様子をイメージするには十分で面白かったです。特に日本城郭配置図には各国の石高や、城名、宿場町などが描かれており人だかりができていました。こういうのはやはり地元が気になるんですよね。


テーマ展示 – 現存十二天守模型展示
現存十二城の同縮尺での精巧な天守模型の展示です。神奈川県での開催ということで特別出演として小田原城も展示されていました。




厳選プログラム
厳選プログラムへの参加には通常の「入城券」の倍のお値段の「プレミアム入城券」が必要となります。私は正直なところテーマ展示はともかくこの厳選プログラムが目当てでした。なんといってもお城会の重鎮である小和田哲男先生や三浦昌幸先生のお話を生で聞けるわけですから。
実はいくつかの厳選プログラムの際、登壇していなかった小和田哲男先生が四席くらい隣に座っていて、思わず声をかけようかと思いましたがぐっと我慢しました。周りの人は気付いていたかったのでしょうか。サインが欲しかった…
ここでは厳選プログラムの中で特に印象に残った三浦正幸先生の講演をご紹介します。
厳選プログラム – 12/23(金) 天守と櫓について 三浦昌幸先生
天守復元でおなじみの三浦正幸先生の講演です。お題は熊本城の天守と櫓について。目からウロコの内容で要点は以下となります。
・宇土櫓の築城時期について
宇土櫓は一昔前は小西行長の宇土城天守を移築したものと伝えられてきましたが、現在はその説は否定されています。では宇土櫓はいつごろのものなのかという内容でした。
-櫓台は付近の石垣の積み方より新しい積み方となっており、増築されたものと考えられる
-櫓台には穴蔵があるが、一階床下の造りが穴蔵を持った櫓として相応しくない
-一階内部に広縁と呼ばれる空間がある。これは安土城や豊臣大坂城にもあったもので非常に古い時代の天守の特徴である
-最上階に高欄を設け天守なみの格式を持っている
-現在の大天守と大入母屋や破風の配置が類似している。このような配置を持つのは熊本城のみで、現在の大天守の縮小版が宇土櫓であると言える
結論:宇土櫓は清正が熊本に入ってから関ヶ原の戦いで加増されるまでの間に建てられた清正最初の天守である
宇土櫓については清正最初の天守であることが確実となれば、現存十二天守よりも古いものとなり、日本史上においても城郭建築史上においても非常に貴重な建物だといえます。そのため三浦先生は次に国宝にする必要がある城郭建築は間違いなく宇土櫓と太鼓判を押していらっしゃいました。僭越ながら私もそう思います。
・熊本城大天守の張り出しと得意な構造について
熊本城大天守は一重目が石垣から張り出し、通常の望楼型天守のパターンである一重と二重が同大な城(萩城、岡山城、豊臣大阪城など)と異なるユニークな形となっている。その理由について。
-もともと清正は四重ないし三重の天守をここに建てることを想定していた
-ところが関ヶ原での戦功での大幅加増(50万石)のため、石高に相応しい天守を築くことになった。当時の不文律として中納言以上あるいは50万石以上の大名は五重天守を建てる必要があった
-関ヶ原以前から現在の天守台を造っていたため小さな天守台に五重天守を建てることになり、苦肉の策として一重目を張り出した
結論:熊本城天守の特異な構造は、四重ないし三重天守の天守台に、無理やり五重天守を建てたため
ここからは私の推論ですが、天守台には現在の大天守の二重目から上だけが建てられる予定だったのではと思いました。すでに二重目より上の設計は終わっていたが、五重天守にする必要があったため一重目を継ぎ足した。今の大天守を見ているとだるま崩しの容量で一重目だけを外してみるとぴったりと天守台と二重目の大きさが一致するように見えます。いかがでしょうか。
11月6日(土)に行われた早川石丁場群関白沢支群(はやかわいしちょうばぐんかんぱくさわしぐん)の現地見学会の様子をお伝えします。この見学会は今年3月に早川石丁場群関白沢支群(小田原市)、中張窪(ちゅうばりくぼ)石丁場(静岡県熱海市)、宇佐美北部石丁場群(静岡県伊東市)が江戸城石垣石丁場跡として国指定史跡となったことをきっかけに開催されました。一夜城の近くに江戸城のための石切場跡があるということは聞いていたのですが、なかなか行く機会がなく、今回は通常入ることが出来ない民間地にも入れるとのことでこれは見逃す訳にはいかないと参加しました。
出発は入生田の神奈川県立生命の星・地球博物館、解散地は一夜城ということで足掛け3時間ほど、山を200メートルほど登ることになります。














先程のヘアピンカーブに戻り先に舗装路を進むと車道の走る開けた場所に出ます。ここには車道の橋の下に続く細い階段があり、橋の下にひっそりとこの石丁場があります。車道は広域農道小田原湯河原線で、建設に伴う発掘調査によってこのあたりで最大規模、保存状態も良好なこの石丁場が発見されました。車道建設のため失われるところでしたが、その価値から橋を架ける設計に変更され、現地保存されています。そのためちょうど橋が屋根の代わりにもなっておりなかなかユニークな史跡となっています。
ここでは石材の加工がつい先程まで行われていたかのような生々しい状況が残されており、石丁場を理解する上で極めて重要な場所となっています。石材の加工は以下の行程となります。
1. 安山岩の転石を割るために「矢穴」を一列に彫る
2. 目的とする大きさに割る
3. 形を整える
4. 整形が完了した石材を集める



こうなると石垣山一夜城に使用された石材の石丁場も見てみたいものです。市職員の方の説明では「今回見てきた石丁場は人海戦術で石を切り出したもので、未熟練工もたくさんいたため時間がかかっていたであろう」とのこと。対して石垣山一夜城の石材は「熟練職人がカンと経験を頼りに短期間で切り出したもの」とのことでした。野面積みは石材の加工度が低く、打込ハギに比べ石材は小さめになるため、石丁場も小規模であり、このあたりの自然に完全に埋もれてしまっているのかも…などととりとめのないことを考えています。
石垣山一夜城へは入生田方面からゆるゆると登って、残念石や石丁場を見学していくとよりどっぷりお城の世界に浸れると思います。早川方面からのルートより坂道も緩いのでおすすめです。
細々とお城関係のサイトとブログを運営している私ですが、先日1通のメールが届きました。
「お城EXPO2016」開催のご案内と告知協力のご依頼…
どうやらこのささやかなブログが株式会社東北新社様の目に留まったようで、12月に開催する全国初(?)の大型お城イベントの告知依頼でした。というわけで喜んで協力させて頂きます。

開催日は12/23(金)、24(土)、25(日)の三日間で場所はパシフィコ横浜です。プログラム内容は以下となります。
<テーマ展示>
・浮世絵に見る攻城戦展
・厳選城絵図&お城模型展示
・日本100名城写真展
・熊本城復興支援コーナー
・お城シアター
・お城EXPO検定
・城めぐり観光情報ゾーン
・城下町 特産・名産品即売会
・お城EXPOフォトコンテスト
・ワークショップ ほか
<厳選プログラム>
お城のスペシャリストたちが登壇するここでしか聞けない貴重な講演会・フォーラム・トークショーなどの厳選プログラム。12月24日(土)に開催するトークショーでは、春風亭昇太さんにご参加いただき、城郭考古学を専門とする考古学者の千田嘉博さん、城郭ライターの萩原さちこさんとともに、お城について熱く語っていただきます。
この中で私が特に気になっているのが厳選プログラムです。三日間それぞれで別のゲストが登場し、トークショーや貴重な講演会が開かれます。そのゲストが実に豪華です。
戦国時代といえばこの方 … 小和田哲男先生
数多くの天守復元を手がけ、私の愛読書「城の作り方図典」の著者 … 三浦正幸先生
後北条氏関係のディープな書籍を多数著作 … 黒田基樹先生
芸能界随一のお城通 … 春風亭昇太師匠
お城、戦国好きなら見覚えのある名前ばかりだと思います。入場料とは別料金が必要ですが、これだけの豪華キャストなので十分勝価値あると思います。私は以下のプログラムを見に行こうかと検討中です。
23日(金) 講演会「天守と櫓について」 …三浦正幸先生
24日(土) トークショー「山城の魅力を語る!」 …春風亭昇太師匠 他
24日(土) 講演会「秀吉の小田原攻めの意義と背景」 …黒田基樹先生 他
24日(土) フォーラム「小田原攻めの実態に迫る」…小和田哲男先生、黒田基樹先生 他
これだけ豪華ですとちょっとしたクリスマスプレゼントのようです。全国のお城好きの方はぜひこの三日間はパシフィコ横浜へ!
もちろん「お城EXPO2016」の様子はこのブログにも掲載します。
ものすごく今更ですが6月19日(日)に行われた第8回 日本城郭検定1級に合格しました。
それなりに手応えは感じていたのですが、合格ラインが70点で、得点は73点でした。げっこうギリギリですね。前回の1級で既出の出題がなければ間違いなく不合格だったでしょう。1級の平均合格率は4.9%ということで、城好きの友人がいれば自慢できるかもしれません。全問正解した人はいるのでしょうか?
解答も公開されたでの、問題ページに白文字で掲載しました。反転させてご覧ください。これから受験する方の助けになれば幸いです。
問題と解答はこちら
2016/6/19に「第8回 日本城郭検定」が実施されました。年一回の1級開催回であり、今回も懲りずに受験しました。
感想
二回目の1級開催ということもあり、前回と同じ問題がいくつか出題されました。勉強もほとんどせず、なかば運試しで受験した状態で、ベースとなる知識はほぼ前回と同じ。ですが、このいくつか出題された過去問のおかげで、点数を稼ぐことができました。合格ラインが70問なら、合格見込みありと言った感じです。
なにより実感したのは、実際に行った城のことはよく覚えているということです。犬山城の飾り華頭窓や、天守の構造などはその最たる例です。本物を見たからこそ問題を解いていて楽しく感じました。
出題傾向
出題範囲は幅広く、人物、合戦、建物、縄張り、歴史、築城技術、エピソードといったものが、あらゆる城から出題されました。写真や画像を見て回答する問題はひとつもありませんでした。
また、熊本地震で大きな被害を受けた熊本城の問題がまとまって出題されると考えていたのですが、熊本城関連の問題は数問だけでした。
先程も書きましたが、二回目の1級開催ということで過去問が数多く出題されました。1回目に難しすぎて印象に残っていた問題も出題されていました。「この本を書いた人物の城はどれか」などといった城と直接関わらない問題は、一度失敗して覚えるのが一番速いかもしれません。
実問題
というわけで問題を掲載します(誤字脱字もそのままです)。ご参考にどうぞ。正解は結果通知の後に記載します。
問001
前田利家は、金沢城に豪華絢爛な天守を築いたが、落雷により惜しくも消失した。消失したのはいつか。
1 明治14年(1881)
2 寛文2年(1662)
3 慶長7年(1602)
4 享保3年(1718)
正解→3 慶長7年(1602)
参考→KemaAkeの全国城めぐり – 金沢城
問002
平成27年に、金沢城玉泉院丸庭園の復元整備が完成した。前田利長正室であった玉泉院の父親は誰か。
1 丹羽長秀
2 徳川家康
3 上杉景勝
4 織田信長
正解→4 織田信長
問003
金沢城三御門と呼ばれていたのは、現存する石川門と復元された河北門、もう一つはどの門か。
1 黒鉄門
2 尾板門
3 橋爪門
4 鼠多聞
正解→3 橋爪門
問004
岩盤に穴を穿って柱穴を設け、特異な天守を建てていたのが岐阜県の苗木城だが、近年天守台に柱梁建物が復元された。復元されたのは何階部分の床面か。
1 四階
2 二階
3 一階
4 三階
正解→4 三階
参考→KemaAkeの全国城めぐり – 苗木城
問005
1615年、徳川幕府が「一国一城令」を発布したことにより、全国に存在する城の数は170城程度に整理された。発布以前の城の数はどれか。
1 500
2 2000
3 3000
4 1000
正解→3 3000
問006
遠江国は、後醍醐天皇の南朝方の拠点が多く存在していました。南朝方の拠点として、使用されていない城はどれか。
1 千頭峯城
2 杜山城
3 大平城
4 山岳城
正解→2 杜山城
問007
松本城二の丸太鼓櫓の櫓門脇には、高さ3.2m、推定重量26.5トンと言われる巨石が据えられている。この石を運搬途中、不平を言った人を見咎め、首をはねた武将にちなみ、石に名前が付けられている。何と呼ばれているか。
1 玄蕃石
2 五郎太石
3 平八石
4 作佐石
正解→1 玄蕃石
参考→KemaAkeの全国城めぐり – 松本城
問008
天守の最上階に廻縁を付けたにも関わらず、雨よけのために後に板で囲ってしまうことがあった。次の城のうち、板で囲われたのはどの城の天守か。
1 津山城
2 丸亀城
3 弘前城
4 和歌山城
正解→1 津山城
参考→KemaAkeの全国城めぐり – ?城
問009
天守の格式をあげるために、最上階に華頭窓を設けることがあったが、この格式高い窓を飾りとして貼り付けただけで、窓として機能していない天守が存在する。それは何城か。
1 広島城
2 彦根城
3 犬山城
4 姫路城
正解→3 犬山城
参考→KemaAkeの全国城めぐり – ?城
問010
現存する小諸城三の門には「懐古園」と書かれた扁額がかかっている。この扁額を書いたのは、何家の人か。
1 徳川家
2 牧野家
3 仙石家
4 西尾家
正解→1 徳川家
参考→KemaAkeの全国城めぐり – 小諸城
問011
甲府城の下段に置かれた曲輪の中で、存在しない曲輪はどれか。
1 数寄屋曲輪
2 井戸曲輪
3 鍛冶曲輪
4 楽屋曲輪
正解→2 井戸曲輪
参考→KemaAkeの全国城めぐり – 甲府城
問012
南北朝時代の築城と伝えられ、城下町には武家屋敷などが良好な状態で残されていることから、九州・沖縄地区で最初の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定された城下町はどれか。
1 飫肥
2 高山城
3 知覧
4 人吉城
正解→1 飫肥
問013
歴代の甲府城主の中で、朝鮮半島で病没したのは誰か。
1 平岩親吉
2 羽柴秀勝
3 加藤光泰
4 浅野長政
正解→3 加藤光泰
問014
武田氏滅亡後、松代城(海津城)主となったのは誰か。
1 滝川一益
2 森長可
3 佐久間盛政
4 池田恒興
正解→2 森長可
参考→KemaAkeの全国城めぐり – 松代城
問015
室町時代の創築ながら、近世城郭で主流の水堀を2重にめぐらし、さらに巨大な土塁の断面を実物展示すると言う全国でも珍しい設備がある城はどれか。
1 勝龍寺城
2 三原城
3 多聞城
4 湯築城
正解→4 湯築城
参考→KemaAkeの全国城めぐり – ?城
問016
松代城には、土塁にトンネル状に穴を開けた埋門が復元されています。二の丸土塁には、何ヶ所同様の「埋門」が設けれていたか。
1 四ヶ所
2 三ヶ所
3 二ヶ所
4 一ヶ所
正解→2 三ヶ所
問017
天正13年、第一次上田城攻めを命じられた徳川直臣軍で城攻めに加わっていない武将は誰か。
1 天野康景
2 平岩親吉
3 鳥居元忠
4 大久保忠世
正解→1 天野康景
問018
織田信長は、日本から旅立つ宣教師を見送るため、孟蘭盆会の夜安土城を提灯で飾り付けた。この時、送られた宣教師は誰か。
1 ザビエル
2 フロイス
3 オルガンティーノ
4 ヴァリニャーノ
正解→4 ヴァリニャーノ
参考→KemaAkeの全国城めぐり – 安土城
問019
江戸幕府は、正保年間諸藩に命じて城絵図を作成させ提出させた。現在、重要文化財に指定されている絵図は全部で何城分か。
1 86城
2 63城
3 51城
4 74城
正解→2 63城
問020
戊辰戦争時、板垣退助率いる新政府軍が会津若松城攻めで最初に突破した惣構の入口はどこか。
1 宝積寺口
2 徒之町口
3 天神口
4 甲賀町口
正解→4 甲賀町口
問021
江戸幕府滅亡後、明治政府の許可を得て、櫓門3ヵ所、巽櫓や小麦山の三重櫓などの櫓が五ヵ所、堀も新造したのはどの城か。
1 大坂城
2 駿府城
3 江戸城
4 園部城
正解→4 園部城
問022
2015年、国宝に指定された松江城天守は、姫路城・松本城・犬山城・彦根城につづいて5件目となるが、天守の国宝指定は何年ぶりのことか。
1 84年ぶり
2 42年ぶり
3 28年ぶり
4 63年ぶり
正解→4 63年ぶり
参考→KemaAkeの全国城めぐり – 松江城
問023
石垣は背面地盤の後方向にもたれて安定していると同時に、水平横方向にももたれ合って安定している。石垣の水平方向の力を分散させ、石垣横方向の安定に不可欠で重要な技法はどれか。
1 出隅・入隅
2 根石
3 間詰め石
4 反り
正解→4 反り
問024
山鹿素行の「武教全書」によると、土を突き固めて構築する土居の場合、高さ3間の時の褶(馬踏み)2間、敷きは8間、勾配は45度となる。また外法は内法より急勾配とすることが望ましいとしている。この土居はなんというか。
1 突き固め
2 盛り土
3 強化
4 たたき
正解→4 たたき
問025
太平洋戦争時に、空襲被害を受け焼失しなかったのは次のどの門か。
1 江戸城桜田門
2 高松城桜御門
3 仙台城大手門
4 徳島城鷲之門
正解→1 江戸城桜田門
問026
現存する御殿遺構は、二条城二の丸御殿などわずか4棟だけだが、昭和24年まで和歌山城二の丸御殿が別の城へ移築され現存していた。どこの城に移されていたか。
1 江戸城
2 大坂城
3 名古屋城
4 彦根城
正解→2 大坂城
参考→KemaAkeの全国城めぐり – 大阪城
問027
『日本書紀』の「天智記」には、朝鮮半島からの侵入に備え、6つの城を築いたことが記されているが、記載がないのはどの城か。
1 高安城
2 屋嶋ノ城
3 鬼ノ城
4 金田城
正解→3 鬼ノ城
問028
松本城天守には、乾小天守と辰巳付櫓と月見櫓が付設しているが、どの建物が最も古くから天守に付設していたか。
1 すべて同時
2 辰巳付櫓
3 乾小天守
4 月見櫓
正解→3 乾小天守
問029
大坂冬の陣では、徳川家康が真田丸に対し攻撃しないよう指示したにもかかわらず、挑発に乗って攻めかけたのは誰か。
1 前田利常
2 脇坂安元
3 井伊直孝
4 松平忠直
正解→1 前田利常
問030
第二次世界大戦の空襲被害によって焼失した天守の中で、最初に再建された天守はどこか。
1 岡山城
2 大垣城
3 名古屋城
4 広島城
正解→4 広島城
問031
伊予松山城は、度々放火被害を受けた。昭和8年の放火により焼けていない建物は次のどれか。
1 南隅櫓
2 小天守
3 筒井門
4 十間廊下
正解→2 小天守
参考→KemaAkeの全国城めぐり – 松山城
問032
蝦夷との戦争に備えた城柵の、記録に残る所見は、大化3年(647)現在の新潟市沼垂付近に設置された城柵です。何という城柵か。
1 出羽柵
2 渟足柵
3 大野城
4 多賀城
正解→2 渟足柵
問033
石垣は、背面土中に雨水が浸透したり、土中水が凍結融解したりして、膨張収縮を繰り返している。安定性を正しく判断するには、変位などの長期データの傾向を調べ判定するが、崩落の危険性が高いと判断するのはどの場合か。
1 拡散
2 反復
3 収束
4 停止
正解→1 拡散
問034
長野県の飯田城は、明治新政府によって徹底的に破却されたが、1基のみ城門が残された。残っているのは、どの門か。
1 三の丸御門
2 宝蔵寺御門
3 水の手御門
4 桜丸御門
正解→4 桜丸御門
問035
伏見城は、三度にわたって築城され、2015年に最初の城といわれる指月伏見城の石垣や金箔瓦が出土し、その存在が確実になった。この城は、完成から五年後に自然災害によって破棄され、木幡山に新たな城が築かれた。城が破棄される原因となった自然災害はどれか。
1 山崩れ
2 洪水
3 落雷
4 地震
正解→4 地震
問036
織田信長は安土城築城に着手した翌年城下町整備のための「安土山下町中掟書」をだした。いわゆる楽市楽座だがこの掟書は何条で出来ているか。
1 13条
2 5条
3 3条
4 10条
正解→1 13条
問037
加藤清正が朝鮮出兵で、港を見下ろす山上に曲輪を築き、港と山上曲輪群を一体化するために登石垣によって囲い込んだ城は何城か。
1 順天城
2 西生浦城
3 蔚山城
4 金海竹島城
正解→2 西生浦城
問038
海を監視するために設けられた櫓を「潮見櫓」と言うが、次の城の中で城内に潮見櫓の存在が確認されていない城はどれか。
1 名護屋城
2 宇和島城
3 赤穂城
4 福岡城
正解→1 名護屋城
参考→KemaAkeの全国城めぐり – ?城
問039
吉田郡山城には「百万一心」と刻んだ石碑が残されている。城の拡張にあたって家臣が旅人を人柱にしようとしたが、毛利元就はこれを退けた。元就が、人柱の変わりに埋めたのは何か。
1 銀
2 仏像
3 地蔵
4 石
正解→4 石
問040
名古屋城天守は外観五重、内部は地上五階、地下一階であるが、各階の中で階高が一番大きい階は、床から天井まで7.5mあった。最も大きいのは何階か。
1 二階
2 一階
3 三階
4 四階
正解→3 三階
参考→KemaAkeの全国城めぐり – 名古屋城
問041
南北朝時代には、山岳寺院が城郭として利用されることも多かった。戦国時代の城塞化した寺院の典型例として、山門前に城塞を構え、坊院には高い石垣が築かれていたが、秀吉により滅ぼされた寺院はどれか。
1 根来寺
2 百済寺
3 敏満寺
4 弥高寺
正解→1 根来寺
問042
入母屋造の建物を天守台の上に設け、その屋根の上に物見と呼ばれる望楼を載せた天守を望楼型天守と呼ぶが、入母屋造りの建物が一階建てとなっている天守はどれか。
1 熊本城
2 犬山城
3 丸岡城
4 松江城
正解→3 丸岡城
参考→KemaAkeの全国城めぐり – ?城
問043
城の石垣にも残る大名の家紋だが、戦場における識別のため急速に広がったのはいつの時代とされるか。
1 安土桃山時代
2 鎌倉時代
3 平安時代
4 室町時代
正解→2 鎌倉時代
問044
毛利元就の築いた吉田郡山城の中には、寺院も存在していた。郡山城内に存在した寺院は何か。
1 胎蔵寺
2 観音寺
3 満願寺
4 金剛寺
正解→3 満願寺
問045
名古屋城天守の屋根瓦が、二重目以降全て銅瓦に葺き替えられたのは、いつの改修の時か。
1 天保年間(1830~44)
2 宝暦年間(1751~64)
3 享保年間(1716~36)
4 寛政年間(1789~1801)
正解→2 宝暦年間(1751~64)
問046
現在復元され公開されている名古屋城本丸御殿玄関一之間の襖に描かれている動物は、虎と何か。
1 龍
2 鹿
3 唐獅子
4 豹
正解→4 豹
問047
本年4月に発見され話題になった書状で、1577年頃の合戦前に、家臣に対して、「仁科衆の寝返りの恐れを指摘し、城の防備を強化し、昼夜を問わず油断しないように」と、直筆の文を書いた武将は誰か。
1 伊達政宗
2 織田信長
3 武田信玄
4 毛利元就
正解→全員正解
「仁科衆の寝返り」というフレーズでなんとなく武田信玄っぽく、実際に発見された書状は武田信玄自筆のものです。しかし信玄は1577年にはすでに死亡しているので、問題の年を間違えています。そのため問題として成り立たないため全員正解になりました。
問048
北東の隅を欠く独特な5角系をした鬼門櫓は、民家に移築されていたが、2008年に寄贈されて修復し、再移築された城はどれか。
1 上田城
2 日出城
3 四稜郭
4 龍岡城
正解→2 日出城
問049
「元和の一国一城令」の一国とは一大名領とされているが、しかし一国の中で支城とし残された城もある。仙台藩・伊達氏の支城として明治まで残されたのはどれか。
1 岩切城
2 白石城
3 大膳館
4 船岡城
正解→2 白石城
参考→KemaAkeの全国城めぐり – ?城
問050
後北条3代当主氏康の5男氏規は秀吉の小田原攻めの際秀吉と交渉したことで知られている。北条家滅亡の後、氏規の嫡子氏盛は北条の名跡を継ぎ、狭山城(陣屋)の城主となったが、狭山城は何処にあったか。
1 神奈川県
2 東京都
3 奈良県
4 大阪府
正解→4 大阪府
問051
城中に高き二間余の壇を造り、その上に五間と七間の矢倉を建てと江戸時代の書「遺老物語」にあり、天守があったとされる城はどれか。
1 尾張楽田城
2 尾張那古野城
3 尾張大高城
4 尾張沓掛城
正解→1 尾張楽田城
問052
播磨、美作、備前の三か国の守護として、勢力をふるった赤松氏の居城で秀吉によって秀吉によって廃城とされた城はどれか。
1 置塩城
2 美作岩屋城
3 津山城
4 波賀城
正解→1 置塩城
問053
2013年からの発掘調査の結果、伊達晴宗から政宗の時代と推定される遺構が見つかり、「伊達家山城と山麓居館」として昨年末に国史跡として文化審議会に答申された城跡はどれか。
1 館山城
2 岩出山城
3 桑折西山城
4 梁川城
正解→1 館山城
問054
穴太家の古文書には或る大名の「知行宛行書」が残っており、大名に召し抱えられた石工集団としては初めて事例とされているが、その大名とは誰か。
1 小早川隆景
2 上杉景勝
3 前田利家
4 石田三成
正解→3 前田利家
問055
『鍋島直茂譜考補』の記事に、慶長14年(1609)佐賀城天守が竣工したことを述べた後に「今年、日本国中の天守の数、○○立つ」とあるが、その数をいくつとしているか。
1 三十五
2 二十五
3 二十
4 十五
正解→2 二十五
問056
秀吉の正室北の政所の甥・木下利房は豊臣家が滅びたのちも2万5千石を与えられ、木下家は陣屋大名として明治まで存続した。それはどの藩か。
1 米子藩
2 津山藩
3 足守藩
4 成羽藩
正解→3 足守藩
問057
近世城郭の城門は種類も多いが、その基本構造は変わらない。次の中で基本構造に入らないのはどれか。
1 鏡柱
2 冠木
3 控柱
4 切妻造屋根
正解→4 切妻造屋根
問058
徳川家康が高天神城を奪回するために築城し、丸い川原石を積んだ独特な石垣が本丸周辺などに復元されている城はどれか。
1 掛川城
2 諏訪原城
3 馬伏塚城
4 横須賀城
正解→4 横須賀城
問059
高麗門は最も進化した城門だが、建て方によって旧式と土塀より高く立ち上がる新式がある。新式の高麗門がある城はどれか。
1 名古屋城
2 姫路城
3 江戸城
4 二条城
正解→3 江戸城
問060
江戸の町家は密集しているうえ屋根が茅葺などのため火事で類焼しやすかった。幕府は様々な防火対策をとってきたが、贅沢ということで制限していた瓦屋根と塗籠の家をついに解禁した。それはいつか。
1 文政元年(1818年)
2 万治3年(1660年)
3 明暦3年(1657年)
4 享保5年(1720年)
正解→4 享保5年(1720年)
問61
次の櫓門の中で、二階部分が石垣上に乗らない問はどれか。
1 新発田城本丸表門
2 弘前城追手門
3 佐賀城鯱の門
4 彦根城太鼓門
正解→2 弘前城追手門
参考→KemaAkeの全国城めぐり – ?城
問62
土塀の一つに築地塀がある。中世の寺院などに使われたが、城郭に現存するものは少ない。姫路城の築地塀は知られているが次の城の中で築地塀があるのはどれか。
1 備中松山城
2 松山城
3 大坂城
4 二条城
正解→4 二条城
参考→KemaAkeの全国城めぐり – ?城
問63
城石垣の石材は、その地方で採取し易いものを用いることが多い。金沢城で用いられている石材は、耐熱性が高く、見た目に美しい。それはどれか。
1 戸室石
2 大岩石
3 花崗岩
4 尺谷石
正解→1 戸室石
問64
名古屋城天守と小天守を結ぶ橋台の土塀の軒先には、30cm程の槍の穂先を並べた忍び返しが採用されている。この塀を何塀と呼ぶか。
1 槍付塀
2 返し塀
3 土塀
4 剣塀
正解→4 剣塀
問65
現存する福山城伏見櫓は、解体修理に際し梁の刻印に「伏見城」の櫓名が書かれており、伏見城のどこにあったかが確認された唯一の櫓である。この櫓は伏見城のどこにあった櫓か。
1 山里丸
2 松の丸
3 西の丸
4 二の丸
正解→2 松の丸
問66
戦国武将三好長慶の居城で、最近の分布調査によりほぼ全山が石垣によって築かれていることが明らかになった城はどれか。
1 下赤坂城
2 多聞山城
3 引田城
4 飯盛城
正解→4 飯盛城
問67
伊予松山城に見られる土塀の控柱は、土塀に対して斜めに立て掛けてある。この控柱は、下部と上部では材質が異なっているが、下部に用いられているのは何か。
1 銅材
2 石材
3 鉄材
4 木材
正解→2 石材
問68
熊本城南側の登城口を固める平櫓で、西側書物櫓と共に虎口防衛の要であった両端に石落しを配した櫓はどれか。
1 頬当櫓
2 戌亥櫓
3 馬具櫓
4 櫨方櫓
正解→3 馬具櫓
参考→KemaAkeの全国城めぐり – 熊本城
問69
熊本城に設けれた堀の大部分は空堀であるが、飯田丸五階櫓の西下に位置する堀は、水堀となっている。この堀はなんと呼ばれているか。
1 角兵衛堀
2 肥後堀
3 備前堀
4 平左衛門堀
正解→3 備前堀
問70
沖縄のグスク特有の逆U字型をしたもんを石造拱門(アーチ門)というが、首里城の次の門のうち、石造拱門でない門はどれか。
1 奉神門
2 木曳門
3 歓会門
4 久慶門
正解→1 奉神門
問71
熊本城竹の丸から飯田丸へ上がる通路が、我が国最強の防備を誇る通路と言われている。この通路の最初に位置する門はなんと呼ばれているか。
1 源之進御門
2 竹之丸御門
3 山崎口御門
4 元札櫓御門
正解→4 元札櫓御門
問72
「巻石垣」と呼ばれる、石垣全体が丸く積み上げられて、亀の甲羅のように高くした石垣の復元を行った城は何城か。
1 鳥取城
2 岩村城
3 西尾城
4 仙台城
正解→1 鳥取城
参考→KemaAkeの全国城めぐり – ?城
問73
熊本城小天守地下一階には、石組で深さ40mの井戸が設けられてた。このように、天守もしくは小天守内部に井戸が設けられなかった天守はどれか。
1 彦根城
2 松江城
3 浜松城
4 名古屋城
正解→1 彦根城
参考→KemaAkeの全国城めぐり – ?城
問74
近世城郭の防衛施設として土塀が多用されたが、土塀の要所に敵の動きを見張る物見窓が造られていた。物見窓がある現存の土塀を持つ城はどれか。
1 佐賀城
2 小倉城
3 萩城
4 高知城
正解→4 高知城
参考→KemaAkeの全国城めぐり – ?城
問75
伊那の高遠城址公園は、全国的な桜の名所で知られている。城址に咲き乱れる桜は、何と呼ばれる種類か。
1 ギョイコウ
2 ソメイヨシノ
3 カワヅザクラ
4 コヒガン
正解→4 コヒガン
問76
品川台場、五稜郭などで使用されている跳出が、石垣の勾配の一つとして挙げている軍学書はどれか。
1 甲陽軍鑑
2 武教全書
3 海国兵談
4 山鹿流兵法伝書
正解→3 海国兵談
問77
太平洋戦争による空襲で多くの天守が消失したが、次の中で、3重の天守だったのはどれか。
1 和歌山城
2 大垣城
3 岡山城
4 福山城
正解→1 和歌山城
参考→KemaAkeの全国城めぐり – ?城
問78
室町時代中期の創築とされる山城で、1990年代の発掘調査により戦国時代の遺構が良好な状態で残されている事が分かり、井楼など全国的に見て珍しい山城の丸ごと復元が行われた。武田軍と徳川軍が争ったこの城はどれか。
1 高根城
2 三岳城
3 宇津山城
4 二俣城
正解→1 高根城
問79
大坂城の青屋口にあった煙硝蔵に落雷して約82トンの火薬が爆発、天守や櫓が破損し、多くの死傷者が出た事件が起こったのはいつか。
1 1603年(慶長8年)
2 1660年(万治3年)
3 1685年(貞享2年)
4 1716年(享保元年)
正解→2 1660年(万治3年)
問80
平安時代初期、延暦22年(803年)坂上田村麻呂が造営し、四方が築地塀と土塁で囲まれた古代城柵で、発掘調査で現在の青森市にあることが確認された城はどれか。
1 胆沢城
2 伊治城
3 多賀城
4 志波城
正解→4 志波城
問81
朝鮮半島には約800か所の城跡が確認されているが、朝鮮半島の城の基本形は中国東北地方で発達した。北・東・西の三面は山に囲まれその稜線を石積みで囲み、南面は平地に開けた様態の山城で、何型と呼ばれるか。
1 新羅型
2 任那型
3 高句麗型
4 百済型
正解→3 高句麗型
問82
戦国期の武将大関氏は関東では珍しく外様大名でありながら転封されることもなく明治まで続いた。城下町には松尾芭蕉が奥の細道時に1か所として最長の14日滞在したが、その城はどれか。
1 黒羽城
2 白河小峰城
3 烏山城
4 黒須城
正解→1 黒羽城
問83
多門櫓の中で二重又は二階の多門櫓が現存している城は3城だけである。次の中で二重、二階の多聞櫓が無い城はどれか。
1 姫路城
2 津和野城
3 金沢城
4 名古屋城
正解→4 名古屋城
問84
塀の内側に塀と直角に設け、歩板などを渡し、塀外の敵に攻撃を加えることができる設備はどれか。
1 出張塀
2 仕切塀
3 控塀
4 横塀
正解→3 控塀
問85
北条流の「兵法雄鑑」で土図盤で築城計画をするように記述があるのはどの縄張りの城か。
1 平城
2 山城
3 水城
4 平山城
正解→2 山城
問86
江戸中期の田沼時代や寛政の改革など政治、社会の様々なことが活写されている随筆「甲子夜話」を執筆した名を清、号を静山という藩主が
たのはどの城か。
1 米沢城
2 福岡城
3 平戸城
4 水戸城
正解→3 平戸城
参考→KemaAkeの全国城めぐり – ?城
問87
津城跡には、昭和33年に模擬三重櫓が建てられた。この櫓が建てられたのは、次のどの櫓の跡か。
1 西の丸丑寅櫓台
2 西の丸戌亥櫓台
3 本丸丑寅櫓台
4 本丸多聞櫓台
正解→4 本丸多聞櫓台
問88
藤堂高虎が築いた津城の本丸には、東西二ヶ所に虎口が設けられていた。この両虎口は、共に同一構造だが、どんな構造の虎口か。
1 内枡形虎口
2 平虎口
3 喰違い虎口
4 外枡形虎口
正解→1 内枡形虎口
問89
熊本城東北隅部を囲む櫓は、北十八間櫓と五間櫓(共に重要文化財)と、その西にあった櫓が連続し、さらに不開門へと続いていました。西にあった櫓の名称は何か。
1 六間櫓
2 八間櫓
3 十間櫓
4 十二間櫓
正解→1 六間櫓
問90
西の丸は徳川家康が隠居所を江戸城の今の西の丸に築いたのが起源だと言われるが、次の中で西の丸が無いのはどれか。
1 和歌山城
2 水戸城
3 姫路城
4 岡山城
正解→2 水戸城
問91
複合式天守は、天守に付櫓等が付設する形式の天守で、通常この付櫓を経由して天守の中に入るが、下記の天守の中で直接天守に入る入口があるのはどれか。
1 大垣城
2 備中松山城
3 松江城
4 彦根城
正解→4 彦根城
問92
望楼型天守の利点は、どんなにゆがんだ平面の天守台にも建てられることであるが、望楼型を代表する岡山城の天守台は、何角系か。
1 八角形
2 六角形
3 五角形
4 七角形
正解→3 五角形
参考→KemaAkeの全国城めぐり – 岡山城
問93
直江兼続率いる上杉景勝軍が、最上義光の治める山形城を攻めるために、その支城で志村光安が籠る城を攻めたが、関ケ原で西軍が大敗したため撤退した。「北の関ケ原」と呼ばれた戦いの舞台となった城は何城か。
1 松山城
2 長谷堂城
3 中野城
4 亀ヶ崎城
正解→2 長谷堂城
問94
現存する天守のうち、唯一弓や鉄砲で射撃をするための狭間が存在しない城があるが、何城の天守か。
1 高知城
2 伊予松山城
3 丸亀城
4 宇和島城
正解→4 宇和島城
参考→KemaAkeの全国城めぐり – ?城
問95
英国王の使節としてイギリス船としては初めて来日した東インド会社貿易船司令官モーリスセーリスが、江戸城で拝謁した将軍は誰か。
1 徳川家康
2 徳川秀忠
3 徳川家光
4 徳川綱吉
正解→2 徳川秀忠
問題文訂正ありました。どうりでモーリスで調べてわからないわけです。
問96
天守や櫓の屋根の上に載った瓦のうち、大棟の先端や隅棟の先端につけられた瓦を何と呼ぶか。
1 鯱瓦
2 鬼瓦
3 熨斗瓦
4 三角瓦
正解→2 鬼瓦
問97
天守や櫓の外壁は、防火と防弾のために土塀で塗り固められていた。外壁の壁に柱の形を見せる仕上げをした壁を何と呼ぶか。
1 漆喰造
2 大壁造
3 真壁造
4 長押造
正解→3 真壁造
問98
高天神城を武田勝頼に奪われた徳川家康は、天正6~8年にかけて高天神包囲の六砦を構築し、城を囲い込んだ。次のうち六砦に含まれないのはどれか。
1 横須賀砦
2 三井山砦
3 小笠山砦
4 中村砦
正解→1 横須賀砦
問99
平成25年(2013)、伊勢亀山城多門櫓の修理が完成し、江戸時代の姿に戻されたが、どのような外観の櫓として完成したか。
1 白漆喰層塗籠
2 総板張
3 下見板張
4 海鼠壁
正解→1 白漆喰層塗籠
問100
戦国大名、大内氏が毛利氏の攻撃に備えて築城中の城だったが、大内氏滅亡後、毛利氏が完成させた。その後一国一城令によって1638年(寛永15年)に廃城になった国史跡の城はどれか。
1 若山城
2 高嶺城
3 岩国城
4 荒瀧城
正解→2 高嶺城
いろいろあって投稿が遅くなりましたが、4/9(土)に春恒例の早朝小田原城桜見物に行ってきました。
一週間前にはすでに五分咲きになっており、加えて雨の日が幾日かあったためもう散ってしまっているのではないかと心配していましたが、調度よい感じに咲いていました。
さらに今年は小田原城天守最初で最後(のはず)の大改修工事が完了し、年季の入っていた天守が真っ白になり、桜色と白亜の天守の組み合わせが本当に綺麗でした。天守の周りの木も何本か伐採されておりこれまでと違った印象を受けました。
ちなみに天守の新装オープンは5/1(日)です。初日は流石に混みそうなので大型連休中のどこかでふらっと入ってみようと思っています。













2015年7月から2016年4月まで、小田原城天守は建築後初めての大規模改修工事を行っています。主な目的は築55年がたち老朽化が進む鉄筋コンクリート製天守の耐震補強です。
当所は予算3億円ほどで柱の補強など小規模な改修となる予定でしたが、専門家の検査によりそれでは耐震性に問題ありとなったため、耐震壁を設けるなど大規模な改修工事となりました。耐震壁を設けることで内部の構造が大きく変わるため、展示等も大幅リニューアルすることになりました。私としても昭和の香りたっぷりだった展示がリニューアルするのは嬉しい限りです。
最終的な予算は9億7000万円となりましたが、うち3億円はこれまで入場料で貯めたお金、残りは借り入れ金でまかない、税金は使用しないとのこと。小田原城天守が独立採算でやっていることを初めて知りました。
さて、2016年3月6日(日)、小田原市民を対象に佳境に入った小田原城天守耐震改修工事見学会に行ってきました。定員50名のところ130名の応募があったとのことで、なかなか盛況な様子。工事中の貴重な様子を見ることが出来ました。




2階は窓が開かれていますが、やはり耐震壁を設けたためこれまでより狭く感じます。2階は北条氏時代がテーマになります。1階と2階にはそれぞれミュージアムシアターが設けられ、いかにも今風な博物館といった感じです。しかしあの小田原城が随分とおしゃれになったものです。



3階、4階は展示スペース的にはこれまでとほぼ変わらず、工芸品などを展示します。


5階は今回リニューアルの目玉である摩利支天空間の木造再現がメインとなります。小田原城天守復興の際、参考とされなかった東博模型で確認された摩利支天と天守七尊を祀る空間(詳しくはこちら)を「オール小田原」をコンセプトに木造再現しています。木材は辻村山林(小田原の人ならわかるかな…)の樹齢300年、200年といった木材を使用しています。あの山にこんな立派な木があるとは知りませんでした。そして宮大工の芹澤棟梁は銅門の復元を手がけた方です。「摩利支天様がこらからも末永く小田原を守ってくれることを願い造らせて頂いた」との棟梁の言葉が印象的でした。


2015年7月から小田原城天守は昭和35年(1960)の建築後初めてとなる大規模改修工事を行っています。建築後55年がたち老朽化が進む鉄筋コンクリート製の天守の耐震補強が目的です。
小田原市では当所、柱をカーボンファイバーで補強するといった小規模な耐震補強を考えていたようですが、専門家の検査によりそれでは耐震性に問題ありとのことで耐震壁を新たに設置するなどの大規模な耐震補強工事をすることになりました。
ここでは昨年の7月以来、気が向いた時に撮影した小田原城天守の様子をご紹介します。スマホでの撮影のため雑ですがご勘弁を。
足場で囲まれた小田原城は建築以来55年ぶり、この先も当分見ることはできない貴重な光景です。
2015/6/7に受験した日本城郭検定1級の解答が公開されました。
だいぶ遅くなりましたが、解答を以下問題ページに白文字で記載しました。反転して確認してください。
日本城郭検定1級受験(問001~問020)
日本城郭検定1級受験(問021~問040)
日本城郭検定1級受験(問041~問060)
日本城郭検定1級受験(問061~問080)
日本城郭検定1級受験(問081~問100)
ちなみに私の合否はもちろん不合格でした。
合格ラインは70点で、67点だったのでけっこう惜しかったみたいです。
もう少し慎重に解答していればもしかしたら合格していたかも…
次回が楽しみです。